本編6後半:アレスとマダムとサラのお仕事
アレスト視点。長い。後半注意?
わかりにくいかもしれないので、加筆修正の可能性有り。
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ポツポツと雨が降ってきた。厚い雲に覆われた空は、どんどんとどす黒い色へ変わって行く。
浮き足立つ黒毛の馬を宥め、もう少しだけな、と声をかけた。手綱を軽くしならせ、森の中へと入る。
鬱蒼とした森の中を、黒馬に乗り青年が駆ける。多少の凹凸のある地面などものともせず、まさに駿馬。凄まじい速度で走り抜ける。その荒ぶる馬に遅れをとる事なく、青年は危なげなく操っていた。どちらの表情も清々しく、思うがままに遊んでいた。
そろそろ疲労が見え始め、雨脚も強くなってきた頃。森を抜け、二人は草原へ出た。
そろそろ帰らねば宿屋で待つお節介焼きな精霊が心配するかもしれない。帰る方向を確かめるため周囲を見渡すと、青年の目に不自然な光景が映る。
草原と森の切れ目の辺り。雨が降っていない場所があるのだ。
道が通っているわけでも屋根があるわけでもない。ただそこだけ、地面が濡れていない。雨が避けているかのようなその場所。早く帰らねば本格的に雨が降り、帰り道が危うくなるかもしれない。
だが、もしもこれが、今追っている異変に関連するものであったなら?雨の時にしか見つけられない術。そんなものがあるのかわからないが、ないとも言えない。もしそうであるのなら、これを逃して次にいつ雨が降るかはわからない。
青年は黒毛から降り、少し離れた場所で待たせる。そしてゆっくりと近付いていく。雨の降らないその場所へ。
雨の中からその空間へ恐る恐る手を伸ばす。
そして世界の境界を指先が超えた瞬間、何かが弾けるように眼前から突風に襲われた。咄嗟に腕で頭を庇う。
吹き飛ばされるほどではない風が止んだのち目を開けると、そこには、先までなかった筈真っ赤な屋根の小屋が建っていた。
その現象に驚きを隠せず動揺したままその小屋を見ていると、おそらく出入り口であろう扉から、一人の女性が出てきた。
一言で言い表すのなら、大きい。そして、美しくはない。その女性は青年に気がつき、近付いてくる。とんがった精霊の耳が目についた。
「おや...あの男の魔力かと思ったら、あんたかいアレスト」
「マダム・マーチャル?どうして貴女がここに」
「ここは私の仮屋さ。立ち話もなんだ、入んな。お馬ちゃんも連れといで」
マダム・マーチャル。そう呼ばれた赤髪の女性に連れられるまま、茶髪の青年アレストは小屋へと入っていった。
「ほら、座んな。茶くらいだすよ」
小屋の中は至ってシンプルな一部屋だった。調理ができそうな台に、二人がけのテーブルと椅子。奥には寝台が見える。部屋の隅にはいくつか台があり、そこには乱雑に様々な紙や本が重ねてあった。どことなく目眩がしそうなきつい香が焚かれている。美術品と思われる小物が溢れんばかりに詰まった宝石箱。部屋の作りは単調であるのに、あまりにも雑多な品が転がっているせいで、非常にやかましい色彩だ。
それを持つ家主であるマダム・マーチャルも、真紅の髪に真っ赤なドレス。煌びやかな宝石をいくつも身につけ、贅の限りを尽くしているのであろうその巨躯は、なんとも、この小屋の主人にふさわしい風貌だ。
椅子に腰掛け、出された紅茶に礼を言う。
アレストは、この女性をよく知っていた。明勲精霊であり、商人管理局の長である女性。それがマダム・マーチャル。会ったことは少ないが、街を拠点にする商人が知らないわけがない人物だった。普段は街、王城に住んでいた筈の女性が、なぜこの様な場所にいるのか。不思議がっていると、その女性も向かいの椅子に座った。少々体躯の大きさに見合っていない気もしたが、何も言わない。
一息つくと、向こうから口を開いた。
「アレスト、あんた、何してんだい。せっかくの将来有望な商人が、こんなとこで」
「マダムに名前と顔を覚えられているとは思わなかった。マダムこそ、どうしてここに?」
「あんたがあのライネイの資産を受け継いだ唯一の商人だからねぇ。そりゃあ覚えるよ。
アタシは...野暮用さ。ちょいとこの辺で妙な噂があったもんだからねぇ。一応見にきたのさ」
ライネイ。それは、サラトナグの知人であり、アレストの商人としての師である女性。2年前に亡くなった際、その資産の一部をアレストに託した。街でも名の知れた商人であった彼女の弟子であるアレストは、それにより街での知名度を大きくあげた。管理者であるマーチャルが知っていても、なんらおかしくはない。
「あんたはしっかり者だ。まぁたあのパトロンに連れ出されたんだろ?全く、やめて欲しいねぇ。あいつはライネイもあんたも骨無しにしていく」
「パトロン...サラトナグの事、か?」
「それ以外にいるかい?ライネイも馬鹿な女だよ。男に現を抜かしてさっさと死んじまった」
マーチャルはテーブルに置かれていた煙管に火をつけ、大きく煙を吐いた。ため息とともに、ただでさえきつい香が充満する中に、更に匂いが足されていく。
「あんな美しいだけの男、アタシは好かないね。アレスト、あんたも気をつけな。あいつはね、直ぐに女を駄目にする。
そんなにあの男の匂いをべっとりつけて。あんまり精霊に身体を許すもんじゃないよ。あんたの一生なんて、あいつには一瞬だ。大事な命を弄ばさせるんじゃない」
「一応関係を持った事はないが...マダム、マダムはサラトナグがお嫌いなのか」
「ああ嫌いさ。ああいう精霊らしい精霊がアタシは嫌いなんだよ」
「なぁ、マダム。俺は、あいつに気に入られているらしい。だが、何も知らない。マダムが知っていることを俺に教えてくれないか?」
「何でだいアレスト。あんまりあの男に関わらない方がいいと言っただろ」
「それは俺が決める事だ、マダム。少なくとも俺はライネイから、サラトナグを頼む、と遺言を受け取った。何も知らなければ、それに従いたい。知らないならば選べない。
助言をくれるというのなら、その根拠も知りたいと思うのはいけない事だろうか、マダム」
「言うね、若造。好奇心は人を殺すよ」
「探究心無くして商人は務まらないとの教えでね」
マーチャルはニヤニヤと笑い、問いかけた
「いいだろう。だが、その見返りをあんたは用意できるのかい?若造」
「なんなりと、マダム・マーチャル」
「へぇ...片足じゃなく全身突っ込むつもりかい?命がいくつあっても足りないだろうね。いい度胸だ。
丁度雨も酷い。泊まっていきな?お馬さんが可哀想だろう?アレスト」
「...ああ。お言葉に甘えさせて頂く」
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「精霊は美しい生き物だ。美しくないアタシは加護が殆ど無かった。だからアタシは信仰を捨てて、人間のように、力でなく権力でのし上がってやろうと決めた。
美しさ至上主義のサラトナグはアタシを良くは思ってないだろうが、アタシが正々堂々商人の腕だけでこの国の経済を発展させた事を評価した。まぁ、そういうとこは悪い奴じゃないとは思うけどね」
「ならどうして嫌う?確かに、真摯さに欠けたり、身勝手だったり、遊びが過ぎたり、いや、ありすぎるくらい難があるか...」
「ふ、いい事を教えてあげるよアレスト。
いいかい、300年以上生きてる精霊に、ロクな奴はいない」
「300年?それが大事な基準か?」
「300年が大体の精霊の寿命の壁なのさ。
あんたの側にいる男は規格外中の規格外。もう一人、ルートグランも。
大戦を生きた精霊は、今はもうこの二人しかいない。本人達が知ってるかは知らないがね」
「ルートグランもか...正確な大戦の年号やあいつらの年っていうのは...」
「さぁね。文献は燃やされた。ただ、恐らくあの二人の年は千近い。
わかるかい、普通の精霊は300年もすれば死ぬ。
それ以上生きる精霊は、【何か】をしてようやくそれ以上生きられるんだ」
「眷属の力を吸うことによって。サラトナグは植物から命をもらうと聞いた。ルートグランもそういう事か」
「ああ。
ただね、これはねぇ...何かを殺めて迄生きたい、という事より、死ねない何かに執着している、っていう方が怖いのさ。
考えてみな、アレスト。きちんと信仰にのっとり生きていれば、300年。アタシみたいに信仰を捨てても200年は生きられる。それだけの時間があって、何故死のうと思わない?
意外と300年以上生きられる、眷属から命を吸える精霊は多い。あんたの師、ライネイもだよ。
だがライネイは200そこらで死んだ。信仰を失い命を炎に取り上げられたからだ。ライネイはサラトナグに恋し、恋のために死んだ。
他にも、大抵の精霊は300年以上生きる意味を見つけられず、自分から死を選ぶ。生き疲れるんだ。飽きるとも言うね。
そりゃ、こんなつまらない国だ。生きられるわけがない。
この国は変化しない。進化しない。信仰を満たすためならそれで十分だからね。
それを決めたのはあのサラトナグだ。その暇潰しに愛だの恋だので他者を潰す。
ルートグランはなんだ?御伽噺の聖女様に今も夢中さ。イかれてんのさどっちも。
アタシ達は人間が羨ましくて仕方がないの。
あんた達は種として弱い。だが、環境を合わせて変える事はできる。代を重ねて積み上げる事が出来る。変化を恐れない。自分の力を自分で生み出す。
強大な一部が種を守るアタシ達精霊とは大違いだ。所詮信仰での授かりもん。子が強いとは限らない。大いなるものの気まぐれに生かされる。
あんたのパトロンは、信仰にしか興味がない。だから千年も生きられる狂人だよ。
今や精霊らしい精霊は産まれない。その中で精霊である事を意識し続けてる。
あの男がどんな行動をしようと、狂人なのは変わらない。狂人の気まぐれに優秀な者を沢山殺された。それだけで恨むには十分さ」
「...そうか。よくわかった、
だが、少なくとも俺は大事にされている実感がある。今が楽しい。注告はありがたく頂戴するが、決めるのは、まだ先にしたいと思う」
「好きにしな。あんたは人間だ。自分の命は自分の好きに使えばいい。
だがね、オススメはしないってだけさ。あんたは優秀な商人だ。あのパトロンがいなくてもやっていける。それは覚えておきな」
「ああ。感謝する、マダム・マーチャル」
「他人行儀だねぇ...ふん、久々に楽しかったよ若造」
「マダム、もう一つ。貴方がここにいる野暮用、とはなんだ?」
「たかが若造には教えられない。知りたきゃあんたのパトロンに来させるんだね」
そうだね...ミミツキヒャクゴウを貰えるなら話してやってもいい。そう伝えな」
「...わかった。一晩、感謝する」
「あんたの度胸は褒めてやるよ、アレスト。
さぁ、よく晴れた。さっさと帰んな」
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雨はすっかり上がり、雫を抱き草原は朝日に輝いている。黒馬を駆り、昨日出立した宿屋へ戻った。
黒馬は少々疲れたようにしている主人に心配そうに擦り寄った。馬屋の栗毛の女性も、苛立っているのか少々荒れ気味にアレストへ擦り寄る。二人を安心させるように撫で、サラトナグの待つ部屋へと戻って行く。
「入るぞ」
扉を開くと、その直ぐ目の前にサラトナグが立っている。
「おかえり、アレスト」
その声はいつもの陽気さはまるで無く、優しげな眼差しも何処かへ消え去っていた。
威圧感。近寄り難い雰囲気というだけな筈だが、圧倒的な何かが押さえ付けてくるような感覚を覚える。
「...心配かけさせたか?」
「ああ、勿論。でも、君が怪我をしていないのはわかっていたし、僕のよく知る人物に保護されていたのも分かっていた。だから、それはいい。
何故だろうね、無性に苛立つんだ」
美しい黒い瞳が、アレストを睨む。
その瞬間、胎内に痛みが走る。それは軽い痛みであったが直ぐに猛烈な吐き気が催される。何かが這い回っている。胎内を犯している。耐えきれぬ嘔吐感に床に膝をつき、逆らいきれない内容物の逆流に吐瀉した。
きつい酸味が喉を焼く。やけに甘い香りのする液状のみの吐瀉物が床に巻き散らかされた。
汚れるのも構わず、アレストのそばにしゃがむサラトナグ。肩で息をしながら視線を合わせば、急に抱きしめられた。
「アレス。一体何を飲んだ。何を食べた。何を含んだ。明らかに異質な物だ。全部出しなさい。さあ」
再び強烈な嘔吐感が襲う。根だ。蔦だ。まるで胃を掴まれるような乱暴さで、中身を全て吐き出させられる。もう何も残っていない。苦しさを訴えるようにもう一度目を見れば、更に強く抱きしめられた。
「全部伝わってきた。恐ろしい程に。君の意思じゃない。ああ、僕はそんなもの望んでいない。やめてくれ。君は自分の事を大事にしていれば良い。僕に守られていればいいんだよ」
何かを言おうとしても、焼け付く喉は音を出せない。嘔吐感は収まったものの、疲労感による急激な眠気が身を蝕む。瞼が下がる。
「こんなに不愉快な快楽は初めてだ。
アレス、駄目だよ、そんなに簡単に君の身体を売ったら。君の意思なら止めはしない。けどね、もし次こういう事があれば、その時は少々手荒にやらせてもらうよ。わかったね」
近いはずの声が遠くから聞こえる。強烈な眠気に屈し、自分よりも小さく細い彼に身を委ねた。
「...よく眠るといい。そしてその臭い、早く取ってしまおう。もう一度、僕の香りになっておくれ、アレス」
シュルシュルと、蔦が体に巻きついてくる感覚を最後に、意識を手放した。
「...アレス、君は僕を受け入れすぎだ。心も身体も。心はともかく、身体は何故?
君の身体、どこか、おかしいよ」