何気なさすぎるオチもクソも物語性もない冬の日の出来事
あっくん目線で、おじじとちょっと仲良くなった時の話。ホモじゃない。前提ホモだけど。本編終了後の話。オチはない。ストーリーもない。コーヒー飲んでるだけ。
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共に暮らし始めて、初めての冬だった。森の木の葉が紅や黄色に染まり、落葉が道まで染める。彩り豊かな秋をそのまま切り取ったように、この場所は時間が止まる。
綺麗なお嬢さんに寒い思いをさせたくないから、と。魔力を与え続けて自宅周辺の植物達を枯れさせない。そうして時間を止めるが、それは姿だけで。気温が落ちなくなるわけではない。
魔力を大量に消費し、そして気温の変化にただでさえ弱い。暖かく燃える暖炉の前で毛布にくるまり、寒いようとうずくまっている物体。そんな、主人。主人の加護により色ずいているこの森以外の場所は、葉は枯れ落ち、獣は眠り始めている。そんな彼らの声を聴くことができない自分にとっては、そんな短い冬だけの眠りも悪くないように思えるのだが。なんせ生きる世界が違うのだ。見え方も違うのだろう。
ようやく配置を覚えた戸棚から茶葉をとる。原料もよくわからないものだが、瓶に充満する香りはどことなく、甘ったるい。この家にあるありとあらゆる嗜好品が、基本的甘いことを知った。そんな時だった。知る限り、初めての音。ノック。トントンと、二回。
「…サラトナグ?」
「ン…やだ…嫌な予感しかしないから…無視していいよ…」
眠たげな瞳で、扉を見て、また包まった。嫌な予感というのはわからなくもなかった。よく世話になった気配が、自分にも感じられた。
返事がないと、また。トントントン。三回ノックされた。言いつけ通り、扉を開けることなく黙々と茶葉を蒸らす。ただ、こっち側としての嫌な予感はまだあった。入れる紅茶を三人分に増やす。
しばらく、ノックはない。穏やかに横たわる主人。
ちょうど、淹れおわった頃合いに、大きく音を立てて、扉が破壊された。
豪快な音を立てて足元に転がってきた木の破片。うぎゃあ!と勢いよく身構える家主。
「邪魔するぞ」
大杖を構えた背の高い見知った姿が、やけにすっきりとした出入り口に現れた。
それが、初めての冬。
そしてこれが、三度目の冬。
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「いいかいアレス。どーせまた来ると思うけど、別に扉を開ける必要はないからね。調子乗るから。代わりのドアは作っておいたから、侵入されたら取り付けさせて」
「わかった」
「はちみつあっちに溜めておいたから。なんか文句言って来たら渡せばいいから」
「おう」
「部屋も作ったから押し込んでおけばいいから!!あんまり甘やかさなくていいからね?きっと面倒になるだけだから!!」
「わかってる。別に、あんたには面倒でも俺にはそんなに構ってこないし、大丈夫だろ」
「だといんだけどさ…」
完全な冬が来る前に、サラトナグが街の整備に呼び出された。過剰にも思えるほどに、おそらく来る訪問者への念を押される。大丈夫だというと、それでも心配そうに栗毛の馬を操って、家から出て行った。
一昨年も去年も、このくらいの時期にやってきた、訪問者。数日の滞在なら定期的に来るが、長期間の滞在は、冬になり春が来るまでのこの時だけ。家主はいつだって小言をぼやき迎え入れようとはしない。
それでも、二つしか使わないマグカップに加え、この時期だけはもう一つ用意する。俺の部屋をこの期間だけは空けて、その客のために使う。普段は少量しか置いておかない干し肉も、蜂蜜も。この時期に備えて用意するものだ。
仲が悪いわけではないらしい。言わせてもらえば、素直にならないだけ、なのだと思う。
いろいろあったが、自分自身はあの客のことを嫌っていないし、割と楽しみにしている。一般的な家族の暮らしというものを自分は知らない。それでも、どこか、平和で温かいと思うのだ。
家主が出て行って、三日後。早朝の寒さに、暖炉に火をつけようとする。しかしそれには少し、薪が足りない。吐いた息が白く染まる外からとってこなければならない薪。もう少し日が昇るまで、毛布にくるまりもうひと眠りした方がいいかもしれない。寒がりな家主のためにならその気力も多少は湧くが、自分のためにわざわざしたいとは思えなかった。
その時、トントン、と二回。扉がノックされる。ああ、なんとちょうどよいのだろう。扉の前に立ち、開けるわけではなく、声をかけた。
「ルートグラン様。壊しちまってくれ」
「…うむ?わかった」
その場から離れると、なじみの音を立てて、バキバキと勢いよく扉が破壊された。鍵など意味をなさず、散らばるちょうどよく乾いた木材。突きに使われた恐ろしく丈夫な大杖をもう一度持ち直し、その人物は家の中を覗き込んできた。
茶の髪に、濃緑の瞳。目が合う。
「今年も邪魔するぞ」
「ああ。おかえりなさい、ルートグラン様」
「ほう。そのようなことを言われたのは何年振りか」
「とりあえずドア付け直してくれねぇすか」
「うむ」
壁に掛けられていた同じつくりのドア。家主の些細な抵抗で年々丈夫になっていくその扉は、そろそろ持ち上げるのが辛くなってきたというのに、軽々と動かしガタガタと取りつけている。止められるわけがない。無残に散った破片を集め、炉にくべた。
真白のマグカップに苦いコーヒーを注ぎ、黙々と果実を食べているその人の前に置いた。すまない、と礼を言われる。対面の椅子に座り、自分もコーヒーをすすった。
「あれはどこへ?」
「街の整備に三日前に呼ばれて出ていきました」
「ああ、もうそんな頃か。時がたつのは早いな」
しみじみと息を吐く。湯気がそれに合わせて揺らいだ。人生の尺度が大きく違うこの方が、どういった意図で、何を思い言ったのか。それはわからない。自分を見て首を傾げられた。
「若者よ。今、何年生きた」
「あーと...28?とか、そんくらいです」
「若いな」
「貴方がたと比べたら大抵若いじゃないすか...」
「若い割には、しっかりしている。あれの付き添いなど勿体無いと思う程」
半分程減ったカップをテーブルに置き、腕を組む。口数の少ない方だと思っていた頃もあった。だが、こうして二人きりになると、意外にもよく話す。
些細なことでも、他愛のない事でも、返事を求めるわけでもなく呟く。家主がいるとすぐに皮肉の応酬が続くが、そうでもなければ穏やかなものだ。落ち着いた低い声色は、滅多に聴くことが無くなってしまった他人の声として、とても落ち着く。隔絶された主人の世界に仕舞われる事を選んだのは自分自身であるが、外界との接触は、刺激となって楽しさがある。
「人間の30歳なら、それなりに成長してるもんだと思いますよ」
「ああ、本当に。人間や鬼の成長は早い。あれなど、出会った時から何も変わらない。数百年経っても、幼いままだ。君を見習ってほしい」
大きな溜息をつく。どちらかというと、友人というよりは、保護者。そんな立ち位置で物を言っているように感じる。
「若者よ。あまりあれに踊らされるのではないぞ。あれはすぐに他者を殺す。何度も言うが、関わらぬ方が良い者である事に変わりはない」
「関わっちまって、もう離れられねぇんで、無理っすね。貴方様もじゃないんすか?」
「そうだな。私もだ。だから私に言える事でもないのだが...未来ある若者を、というのは気が引ける」
「未来なんて元からないんで、大丈夫です」
言葉の示す事柄を理解したのかしていないのかは分からなかった。だが、何も聞き返さずに、そうか。と言葉を落とした。きっとわかっているのだろう。わかっていることに何も言わないというのが、この精霊達の特徴であるように思えた。少なくとも主人もこの方も、深く聞いてくる事をしない。時が巡ればなるようになるという考え方。長寿ゆえの思考かはわからないが、それは自分にとって居心地が良いものだ。
去年も、一昨年も、こうして過ごした。家主がいたのでもう少し騒がしかったが、ゆっくりと暖かい食事をし、その年の事を語らい、昔話をよくしてくれる。
懐かしいものだ。初めて来た時、家主と凄まじい言い合いを繰り広げた。獲物の少なくうまく身体の動かない冬は、責任をとって世話をしろ。と上がり込んで来た。結局家主が折れて迎え入れる事になったが、世話をされるだけでなく家主の世話を代わりに行ってくれる。ちょっとした休暇のような感覚。だから、割と歓迎している。
自分との仲も、そう悪くないと思える。しかし、いつまで経っても、打ち解けたという感覚がしない。
理由はよくわかっている。呼び方だ。
「ルートグラン様、一個お聞きしていいすか」
「構わない」
「何で俺の事、若者、って呼ぶんですか」
沈黙。意図は伝わっただろう。名前を呼ばれた事がないのだ、自分は。若者、や、青年。そういった呼称でいつも示される。主人であるサラトナグの事も、あれ、と呼ぶ事が多いが、それとは違う。自分の事をただの若い人間、として認識していないのなら仕方がないのだが、その割には会話には棘や冷たさはない。そういう方なのだ、と言われれば納得するしかないのだが。
「サラトナグから、何か、愛称で呼ばれていたりするかね」
少し考えた結果出た言葉が、それだった。
「アレス、とかですかね」
「そうか。では私もそう呼ぼう」
「あ、いや、いきなり無理して愛称で呼ばなくても...」
「いや、名で呼ばないのは失礼かと思ってはいたのだ。だが、名の方が、私には、重い」
自分と系統のよく似た端正な顔が、こちらを見てきた。主人は本当にこういう顔が好きなんだろうと他人事のように思う。きっと目の前のこの麗人も、そう思っているだろう。
「その名は、私やサラトナグにとって特別な物だ」
「あ、」
「以前、一応、伝えたとは思ったが。もう使われない言葉とはいえ...すまないが、君をそう呼ぶ事は出来ない」
こちらの告白を振られたかのような錯覚を起こす程に、真摯に断られた。いや、実際にそういう意味に取られたのかもしれない。向こうは表情を特に崩す事もなくいるが、何故かこちらが気恥ずかしくなる。ヘラヘラとした主人と共にいすぎて、こういった対応への耐性がなくなっているのだろうか。
「アレストの意味って、最愛の人、でしたっけ」
「大事なもの。最愛のもの。大切なもの。今となってはそんな文化消え失せたが...私にとってはまだ、重すぎる言葉だ」
「あー...なんかすいません」
「いいや。あの馬鹿が全て悪い。普通、呼び名として使うもので名前にする物じゃない。
言うのであれば、妻や夫、伴侶、家内、恋人...そういう間柄を指す言葉だ」
「そういわれると...今後名前を呼ばれるのが恥ずかしくなるんで...やめてもらっていいすか...」
「ほう。あの男と暮らしてまだ恥じらいが残るのか。意外だな」
「俺も毒され過ぎないように主導権握ろうと頑張ってはいるんで」
「はっはっは、それは良い事だ。続けなさい、賢い人間らしく」
今まで見た中で、最も楽しげな笑顔だった。満面の笑みではない。それでも、心からの笑いだったと思う。
空にした白いマグカップをこちらに寄せてきた。
「もう一杯貰えるか、アレス」
「勿論」
多分、仲良くなった。三度目の冬。
木枯らしに負けずに、紅葉は残り続ける。来客が去ると共に、一瞬だけ枯れ、また、若芽を付ける木々達。
もうしばらく、二人で過ごす。その間に、主人の話でも聞いておこう。主人がいる場所では聞けないような、言えないような、そんな話。こっそりと秘密を共有する、童のような楽しみ。
帰ってきたら、なんというだろうか。名を呼ぶようになった事を。きっと困惑するに違いない。慌てふためいて、自分を心配し、この客を追い出そうとするだろう。
ありありと思い浮かぶその光景に笑みを漏らして、一人分の湯を沸かす。背後から流れる機嫌のよさそうな低い音の鼻歌を聴きながら。