ほうさんのお国柄

企画参加用創作ブログ。絵は描けない。文のみ。お腐れ。色々注意。

【閲注】【母の日イベ(だったはず)】ルートグランの思い出

 
そこはとても見晴らしの良い高い丘だった。豪奢な館はまさしく貴族の住まいと言える風貌で、国を一望することのできるその一等地に建っていた。
月のない、暗い夜。暗い暗い、夜。吹く風は冷ややかに、潮風と木の葉を運ぶ。
 
「…始めよう」
 
一人の精霊の男のその言葉で、潮風は、血の臭いを乗せた。
 
 

 

 
いつか。いつかは起こる事とは、覚悟しておりました。しかしこれほどにまで、残虐な革命になるとは、思いもよりませんでした。思想の異なる親子同士の、当主争い。嘆かわしいものでございます。なぜ、血を分けた者同士が争わねばならないのか。
しかし、嘆いたところでもう遅いのです。革命を起こした長子様か、あるいは当主様か。二分された家内、貴族、民衆。どちらに付くか腹を決めねば、長子様は容赦なく反思想者を処すでしょう。長子様は、意志の強いお方だから。長年使えてきたのです。そのくらい、わかります。
耳を劈くような悲鳴、騒乱の音は、現当主様や、その側室様方とご子息…奥様と長子様を除いたご家族の住まう棟の方から聞こえてきました。私は急いで奥様の住まう場所へ走りました。奥様は、なんとしてでも護らなければいけないと。そう思ったのです。もしもそれが、当主様の勢力であれ、長子様の勢力であれ。…誰であれ。せめて長子様がここに、来るまでは。
 
 
 
「爺、そこを退け」
「…長子様、まさか貴方がこのような…」
「成さねば死ぬのは俺だ」
「…嗚呼。爺は、嘆かわしく思います」
「…ふん」
 
血に塗れた棍を片手に、俯く老人になにかを投げた。老人の足元にごろりと転がり、緑の目が怯える白髪を鈍く見つめる。
 
「あの父に似て才のない弟だった。…娼婦の母に似て皆一様に欲だけ強い。首だけになれば物も言えん。
 
爺。悪い事は言わん。俺はお前に何度も救われた恩がある。世話になった。これからも俺によく尽くせ」
 
喧騒。怒声、悲鳴、忙しい足音。殴打、破壊の音。美しく磨かれた石の床には鮮血の溜まり。異常であり平穏とは程遠いその状況で一人、傷なく血に塗れながら、老いた精霊を見下ろす男がいた。
 
「…長子様、わしは長くお仕えして…ああ、貴方が、相応しいものと…思っております。決して、命乞いではございません…」
「わかっている。お前は聡明だ」
「しかしながら、この先へは…お通しできません」
「…爺」
 
コツコツと。革の靴底が床を鳴かし、老人へと歩み寄る。先に投げられた首を何の躊躇いなく蹴り退かし、長身のその男は頭を垂れる老人の腕を掴んだ。老人の背後には豪奢な扉。辺りの床がどれだけ汚れていようとも、その扉は美しい装飾に一切の穢れなくそこに有った。
 
「…爺。あとはここだけだ。わかるだろう」
「…ここは奥様の自室でございます」
「17の兄弟は全て首を揃えた。…聞こえるだろう?この喧騒ももうじき収まる。その奥の物でな」
「母殺しは大罪にございます長子様!!どうか…」
「…俺を産んだ女に興味も価値もない。必要なのは、その女が匿っている当主の首だけだ」
 
老いた精霊は萎びた腕から気力すらも抜き、その場を離れた。
 
「爺は、貴方様を信じております」
「…俺を信じるな。あの女がこれ以上愚かな真似をしないことを祈っていろ」
 
 
鍵の掛けられた扉は取っ手ごと破壊され、いともたやすく男を通す。汚れ一つない部屋。喧騒から切り離された静寂の満ちる部屋。天蓋付きの寝台に、薄いレースのベール。中に見える影の元にずかずかと歩み寄る。
 
 
眠っている様子はない。この不躾に近づいてくる男のことは認識しているだろうに、その影は何の行動を起こす様子もない。ただ静かに、濃霧のような膜の中で、何かを撫でていた。
 
「…母上」
 
返事はない。男は傍に椅子を引き寄せ、ゆっくりと腰を下ろした。
 
「母上」
 
もう一度呼ぶ。手を伸ばし、ベールに触れる直前でまた引き返す。
 
「…あの穏やかな爺が、まさか殺すとは思いませんでした。魔力は衰えても、護る腕は衰えない物ですな」
 
返事はない。
 
「貴女は本当に馬鹿な女性だ。いつも笑顔で、傷だらけで家に帰ってきた俺を、ただ褒めるだけで、父の愚行を、加虐を、止めようとしなかった」
 
返事はない。
 
「知恵もなければ野心もなかった。俺が死ねば貴女はこの家にとって邪魔な物として処分されただろうに。貴女は俺を次期当主にさせるための行動を何もしなかった」
 
返事はない。ただ、撫でる音が、布の擦れる音だけがわずかに、鳴る。
 
「お前がアレを産みさえしなければと、何度怒鳴られていたか覚えていますか」
 
返事はない。
 
「正妻の座を狙って、何度娼婦共に命を狙われたか、数えていましたか」
 
返事はない。
 
「それなのにあなたは何もしなかった。後悔は、ありますか」
 
返事は、ない。
 
「この家に嫁いで、俺を産んで、貴女は、」
「一つでもいいことが、ありましたか?」
 
「母上。俺はいつからあなたの顔を見ていないでしょうか。もう、何十年も経った様な気さえします。長い時でした。でもこれで終わるのです。もう、俺が当主です。きっとすぐに人間達との戦争がはじまります。ですが、それもすぐ終わるでしょう。終わらせてみせましょう。そうすればあなたは、国王の母として、穏やかに暮らせばいい。あなたの好きな柔らかなパンを、毎日怯えることなく出される食事を食べて、森で木苺でも採って、暮らせばいい」
 
「そうすれば、いいんです」
 
返事はない。
 
「貴女は強い精霊だ。守られずとも…一人で生きたっていい。貴女の望んでいた、貴女の愛した豊かな景色を、我らが愛する肥沃な大地を、取り戻して、また、山羊でも飼いながら老いてもいいんです」
 
「母上」
 
 
どれだけ男が待とうとも、返事はなかった。男の懺悔のような独り言が、ぼとりぼとりと、肉片のように落ちていくだけ。
 
終に男は立ち上がり、逡巡はどこかに置きやったようで。ベールに手を掛け引き千切る。呆気なく、何とも呆気なくその膜は破れ、血溜まりに染まる。
 
 
「一族を救った英雄を産んだ母として生きるか、富に堕ち溺れた当主と誑かされた愚かな田舎娘として死ぬか。選べ」
 
 
返事は、ない。
 
「…はっ。母殺しの罪など、今更背負えど重荷にもならん」
 
虚ろな目で血に塗れた男の首を撫で続ける女の最期の言葉は、誰の耳にも遺らなかった。
 
 
 
 
奥様はお優しい方でした。決して驕らず、祈りを欠かさない、模範のような精霊。それ故の加護の厚さで、山羊を育て慎ましく生きる田舎娘だった奥様は、ある日から指導者の一族の当主である旦那様の元へと嫁いで来られたのです。
正妻の座に着いた美しい娘だった奥様を旦那様は大層愛され、そして奥様はすぐに長子様を身籠られました。そしてそれと同時に、奥様は貴族の世界へと足を踏み入れることになりました。傍で見ておりました爺には、その苦悩は痛いほど伝わって来ました。奥様は絢爛な暮らしを望んではおりませんでしたが、それでも夫となった旦那様を深く愛し、妻であろうと、なさっておりました。努力家な、でも不器用な愛らしい奥様を、爺共召使一同は心より慕っておりましたが…残念ながら旦那様はそうではなかったようです。要領の悪く、貴族の世界に馴染めない奥様を次第に避けるようになりました。それでも、奥様は気を強く持ち…長子様を、無事にご出産し…ああ、爺は、今も鮮明に覚えております。
茶の髪に緑の眼、紛れもない当主様の子…その場は歓喜の声が満ちて…迸る魔力が、大いなるものからの寵愛を示していて...神子様の再来という者もおりました…。その喜びの場で、突然、7名の死者が出たのです。身分は違えど…7名。その者たちの傍には蜂がおりました。そして彼らの所持品の中には、毒であったり、刃物であったり、あるいは当主様との、公には出来ぬような関係がございました。…その蜂は、当主様の傍にも、いたのです。当主様は刺される前にお気づきになったようで命は取り留めましたが…長子様のご記憶にはないでしょう。赤子も赤子、産まれた瞬間です。長子様の眷属となった蜂たちが、長子様の暗殺を感じ取り敵を排除しようと動いたのでしょう。
当主様は長子様を恐れました。旦那様は何度も長子様を殺せと奥様に命じましたが奥様は長子様を肌身離さず護って…旦那様の不信は奥様へも至り、旦那様は次々と妻を娶ってはお子を残すようになりました。そして長子様を合わせ18名のご子息が誕生したので御座います。長子様も奥様も、旦那様方の暮らすお館から追いやられ、腫物のように扱われ…奥様の御労しい笑みは、思い出すだけで胸が痛みます。奥様も戦っておられたのです。
長子様、貴方様が、貴族の世界を、血腥く、染め始めたころ。奥様は、壊れてしまったのです。愛する旦那様と長子様との対立に、嘆き悲しんだ末の、選択なのです。どうか奥様を、恨まないでほしいのです。奥様は長子様の成長を、必ず喜んでいらっしゃる。例え、奥様の瞳が虚ろに澱んで、長子様を映さなかったとしても…爺は知っております。奥様は、長子様を愛しておられた。
 
 
 
 
 
男は民衆の前に、ごろりと首を転がした。茶色の髪に緑の眼。当主の首。父親の首。母親が抱いて離さなかった首を。
 
「愚かな政治はこれで終いだ。この時から、私が指導者。この私が汝らの道を示そう!!」
 
 
雄叫びの最中に転がる18の首は、一様に茶色の髪に緑の眼。そうして守られる、直系の血統。
 
 
「今宵の戦は序章に過ぎん。すぐにでも私は…祖の地を取り戻すため、血を違えた同志達を救おう。しかしながら、これまで我が家に仕えてきた君達を、もう召使として呼ぶことはできない。これからは同志となる。もう給金を払うこともできん。私はこの館を、金を、戦いの為にのみ使うだろう。
…私がこれから君たちに与えられるのは、名誉ある死か、勝利のみだろう!!ここで去る者を私は決して止めはしない。…今まで、苦労を掛けた。世話になった。館の物は餞別として、好きに持って行って戦火の届かない奥地にでも、家族と共に行くといい」
 
誰一人として動かぬ静寂に、血の匂いの満ちるその場所で、誰しもが傷を負いながら、一人の男を見つめていた。
 
 
 
「私たちはこれから、友を失うだろう!愛するものを失うだろう!己すら、無事には済まないだろう!」
 
拳が力強く、強く、握られる。血が滲むほどに。
 
「勝利したとしても、力を使い果たし、目指した明日を見る前に、膝を折り、骨を祖の地に還すこともできず野垂れ死ぬかもしれない!」
 
滲む瞳を、誰しもが同じように見ていた。
 
「だが、君たちの戦いは決して無駄にしない!君達の命、悲願、そのすべてを私が背負おう!!!」
 
押し出されるような力強い声が、喉を掠れさせるような声が、幽かに震えている。
 
「どれだけの犠牲を生もうとも、我らの死の先に、永劫の安寧が続く!!」
 
誰よりも、何よりも争いを嫌う彼らが、平穏を愛する彼らが、
 
「さぁ、祖国に、栄光を!!子孫へと繋ぐ希望を!!」
 
震える手で、血に濡れた剣を、強く強く、握りなおした。
 
 
 
「大いなるものに、勝利を!!!!」
 
 
 
仕舞