ほうさんのお国柄

企画参加用創作ブログ。絵は描けない。文のみ。お腐れ。色々注意。

燃えた歴史:指導者

 

 

一人の少年がいた。生まれつき厚い加護を持ち、美しい容姿で、魔力の扱いに長け、天才と呼ばれている少年だ。
彼の名はルートグラン。後の時代、精霊たちの指導者と呼ばれ永き時を生きる事になる、偉大な精霊だ。

 


見た目での年齢は彼ら精霊の年月の物差しには大抵使い物にはならないが、言うならば10代中盤か。暗い茶色の髪に濃緑の瞳が白い月光に照らされていた。

 

月が出ているので夜である。そしてそこは野外であった。野外にしては、閉ざされた場所でもあった。少年がいたのは大地の裂け目。大きな地割れの谷の中。剥き出しの岩壁に張り付くように、少年はしがみついていた。年相応には見えないほど、その手の皮は分厚く、そして指先は血がにじんでいる。谷底からそれなりに高さのある位置で、一歩足を踏み外せば死ぬような高度に、一人。


一体何故、このような事になっているのだろうか。ルートグランは一手ずつ確実に腕を伸ばし脚をあげ、崖をよじ登っている。彼の唇は常に何かを呟いていた。彼の伸ばした手の先、上げた足の先の岩壁が僅かに隆起している様子を見るに詠唱だろうか。

 

…いや。彼は詠唱などしていない。よく聞けばその呟きは全て、殺してやる、である事がわかる。少年にしては鋭すぎる目つき。既にシワが付くのではと思えるほどに、眉間は険しい。少しでも岩が欠ければ舌を打ち、少年は荒々しく谷からの脱出を図っていた。

 

この少年が登っていた谷は、蛇呑の谷と呼ばれる場所であった。谷底を毒蛇の群が這い回る、危険な場所。実際に少年の眼下には毒蛇の群れがいる。それら蛇達も少年を喰らおうと這い寄っていたのだが、岩壁から突如隆起する岩によって弾かれ、少年の元に辿り着けないでいた。

少年はなんとも慣れたように、冷静に、蛇達の静かな行進を食い止める。少年は落ちていく蛇の群れを見やり、申し訳なさそうに一言すまないと呟くと、また血の滲む手を動かし、脱出を再開した。

 

この谷に罪人が投げ込まれる事はあっても、大抵のものは近寄らない。この少年がこのような状況になっているというのは、非常に想定しづらく、場違いな光景であった。
そもそもこの少年、非常に良いお家柄の出身である。精霊達の指導者として、今までに多数の革命を起こし指揮してきた一族、その長の長男であり、正妻の息子。まさしく正統後継者である。言って仕舞えばこの国で最も偉い精霊の世継ぎ。罪人を突き落とす立場にはなれど、落とされる立場になどなりようがないはずだ。

それでも少年は今現在、土埃に衣類を汚し、手は血に塗れ、汗は額に滲み、相当な時間登り続けたのであろうと思わせる状態なのだ。

 


少年は、それはもう、己に厳しく他人にも厳しく、自己に流れる指導者の血統の血に誇りを抱いていた。模範となるべき存在であること、精霊達を護り、大いなるものに尽くさねばならないこと。それは少年だけでなく、同じ血を受け継ぐ一族全員が、そうでなければならないと、少年は常々思っていた。
その思想は彼の母親から受け継がれた物であり、この指導者の家に嫁いできた母親は、彼にこう言ったという。

「獅子は己の子を谷底に落とし、這い上がった子のみを育てるのだそうだ」と…

 

しかし、ここは罪人が落とされる様な谷。いくら試練であってもその血を貶める様なことをする母親ではなく、毒蛇まで這うとなっては度が過ぎている。


そう、ここに小年を突き落としたのは母親ではなく、父親だった。正真正銘実の父。もっと正しくいうのなら父の部下。

 

現当主である少年の父は、この少年の事をひどく疎ましく思っていた。この少年の事を葬ろうと思っていた。何度も谷底に突き落とし、獅子の逸話を妻に聞かせて言い包め、そしてその度に少年は死に物狂いで谷底を這い上がった。

天才と呼ばれ幾多もの精霊達が褒め称えた、まさに誇りある息子、であるはずの少年を、なぜ葬るのか。

 

…ただ、不仲と言うだけである。

 


現当主は隣国リード国との貿易に非常に熱心であり、人間達との共存…ビジネスパートナーとしての共存を目指していた。互いが関与せず殺しあうことなく、それぞれの島で暮らそうではないかと。人間や精霊、妖怪も鬼もアルファも。全ての種族が二国間で使える共通の言語を作り、それを広め、人間達の扱う通貨という文化を取り入れた。精霊達は食物を作り人間達に供給し、人間達は優れた機械を生産する。その関係を作っていこうとしているのが現当主であった。

 

しかし、現当主の考えに賛同する精霊と賛同しない精霊の数は、大きく割れていた。
その理由は、リード国の森林伐採や山の切り崩しが過剰に進んでおり、いくら別の国といえど、それを我々精霊が放っておくばかりか推奨し手助けをするというのは、果たして大いなるものが望む行動だろうか?という点。
その証拠に現当主の加護は薄い。大いなるものを信仰するに値しない思想であると、多くの精霊達が思っていた。
その精霊達は、もう一度、戦争をするべきだと言った。今まで何度も繰り返されてきた戦争を、もう一度。先の戦争は、人間達の支配下から精霊一族を救う戦争であった。そして今度は、全てを我ら精霊達のものにするための戦争を。


それに対し、現当主と賛同者の思いは、もう遅い。の一点。
人間達はもう、殺す力を手に入れた。今戦った所で敗北、もし勝ったとしても、それは今精霊達が暮らす美しい自然に覆われたルーダ島までも焦土にする事は明白だと。
精霊という種族を守るためにも、荒事は起こすべきではなく、場合によっては傘下に降るのも致し方なし、という考えであった。

 


現当主は、今の暮らしを守ろうとしていた。リード島を見捨てて。それもまた一つの選択肢であった。
しかし、大いなるものの意思なのだろうか。彼から生まれた子は、まさしく天才だった。
絢爛な屋敷を建て、侍女を侍らせ、美しい妻を10数名抱える父によく似た、強欲で高慢で、自信に溢れ、野心を持つ天才だった。


ルートグランは、父を見下していた。弱者の考えなど理解できなかった。金の利用は、人間に支配されることと同じだと。仮にも精霊達の長である者が、大いなるものを見捨てるなどあっていいはずがない。
出来ない、もう遅い、手遅れ、など。己が弱いから出る言葉だろうと。


自分にならできる。少年はそう思っていた。そして、現当主への反対勢力は、この世継ぎの存在により勢力を拡大した。少年の小さいながらもあまりにも堂々とした背中に夢を抱き、この様な天才が生まれたと言うことは、戦えと大いなるものが言っているのだと解釈し、代替わりを囃し立てた。

ついに、現当主の死を願うものが現れ始めた。暗殺を企て始めた。その全ては今の所失敗に終わっているが、おそらく時間の問題だった。

 

革命派の希望は、世継ぎの少年。
この少年さえいなくなれば、現当主の描く未来を阻害するものはなくなる。しかし、自ら手を下す訳にもいかない。あくまで事故で死んで貰わなければならない。

ありとあらゆる手を尽くし、現当主は少年を殺そうとした。その度に少年は、死に物狂いで乗り越える。父の思想は間違っている事だと刻み、怒りと殺意を込め、毎日毎日行われる卑劣な罠を。
増える兄弟は、いつか打ち倒すべき父の駒でしかない。己の未熟さが、種族の未来を閉ざすのだと。
少年は強く育つ。気高く育つ。荒々しく育つ。手を己の血で汚し、力の入らない脚に身体に鞭を打ち、自身を叱咤し奮い立たせる。

 

月はもう沈んだ。太陽が昇る。共に少年は崖の頂上へと手をかけた。そして、息を吸い、その身体を持ち上げた。

登りきった。その安心感から、地面に倒れ込む。瞼が重いが、眠ってしまってはきっと死ぬだろうという確信があった。

 

少年はまだ家に帰らねばならない。殺意にまみれた家に。
そして、父親に顔を見せてやらねばならない。
また貴様は殺せなかったのだと、知らしめてやらねばならない。弱い父に屈する訳がないと、精霊達の希望でなければならない。

 

いつか、必ず殺してやる。燃え盛る殺意を心に、凛とした面立ちで、少年は歩き始めた。


何度でも谷底へ落とせばいい。何度でも毒を盛ればいい。何度でも刺客を寄越せばいい。知と才と力を以って、全て薙いでみせる。
少年の濃緑の眼は、濁らない。

 

 

 

そして少年はそれから何年かの後、リード国で行われ始めた精霊狩りを黙認した父に怒り、殺すことになる。
金と権力に溺れた血縁を殺し尽くし、血に濡れた手で、戦争を宣言する。

 

解放戦争。革命の始まりを告げる、精霊の指導者として。