ほうさんのお国柄

企画参加用創作ブログ。絵は描けない。文のみ。お腐れ。色々注意。

【閲覧注意】サラ様がどうしても自分を選んでくれないので監禁する事にしました【if❶】

 


「それだけですけど、何かご質問はありますか?」
「…いや、ないかな。見ればわかるし、今更とも思うしむしろ今まで君がよく耐えてたと思うよ」
「ですよね」

 


椅子に後ろ手に縛り付けて、脚も縛って、しかし縛るだけの簡易な拘束。開けられた窓にはためく白いカーテン。台所からはコトコトと湯を沸かす音がする。いつも通りの、家。監禁という言葉が随分と仰々しく感じられる程に穏やかだ。


「…まぁ、これで君の気が晴れてくれるなら、構わないさ。お湯沸かしてるの?甘いコーヒーが飲みたいな」
「了解しました。どっぷりミルクにどろどろするくらい濃厚なコーヒーを淹れて差し上げます」
「言い方」


ナイフや種を忍ばせているコートだけは流石に脱がされていた。目の前のテーブルにマグカップが一つだけ置かれる。ミルクの多いその色合い。当然ながら縛られている腕ではカップを掴むことは出来ない。


「アダネアくん。取れないよ」
「知ってます。流石に解きませんよ」
「今回は結構厳しいね」
「ええ。ちょっと、本気です」
「君は優秀だから…君の本気は怖いなぁ」


傍らに膝をつき座る犯人である金糸の髪の持ち主の見上げてくる額に、優しく口付けた。サラトナグは知っていた。ただこれだけで、この飼い猫は機嫌を良くするのだと。度を越した無表情の鉄面皮を僅かながらに緩ます事を。実際にその表情は柔らかくなった、ようにも感じる。知古の縁を持つこの主従ならば、その変化がわかるのかもしれない。


「もう冷めましたかね。ちゃんと飲ませてあげますからねサラ様。ふーふーして口移しで」
「うーん猫舌を気遣ってくれるのは嬉しいんだけど解いてくれたら手っ取り早いんだけどなぁ」
「駄目ですよ。今回は、ちょっと、本気だと。言いましたよね」
「言ったねぇ…まぁ、甘えようか。溢さず飲ませておくれよ、僕の愛らしい猫ちゃん」
「そうやって都合よく昔の呼び名を…いつまでも自分のご機嫌取りがお上手で」
「君が僕になんと呼ばれても喜ぶだけだろ?」
「一番喜ぶ名では呼ばない癖に」
「もー、ごめんってばぁ」


くすくすと笑って、何とも和やかに二人だけの八つ時を楽しむ。焼き上がったと焼き菓子を持って、その全てが口伝いの咀嚼ではあるがやはり監禁にしては甘ったるい場所である事に違いはない。というかそういうプレイなのではないだろうか。やわく噛み合う舌は時に逃げ時に追い、吸い吸われて更に二人を近付けさせる。気温ではない要因で汗が滲み始め、余裕有り気に笑う黒い目を、揺らぐ緋色の目が見つめた。


「ふふっ…流石にどれだけ上手になっても舌は僕には勝てないねぇ」
「…サラ様に教え込まれて、サラ様に勝てるようになる奴がいるとは思えませんが」
「あはは!そりゃそうだ!僕に勝たれたら困るから真っ先に敏感にさせてあげてるんだから!」
「性格の悪いショタジジイ…」
「好きだろ?」
「ええ。愛しています」


そう言って軽くキスをして、夕飯を作ります、と犯人は立ち上がる。それを微笑みで送り出し、拘束された被害者はぼぉっとまな板を叩く調子の良い音に聴き入っていた。


「(もう、そんな時間か)」


吹き込んでいた風は止み、静かな夜の訪れを感じさせていた。明かりの灯されていない室内は薄暗く、台所に手許を照らす為の照明だけがある。


痒い場所でもあれば、言うまでもなく何を感じ取っているのか戻ってくる。結びもそう痛くはない。そもそも抜け出そうと思えばいくらでも抜け出せる程度の拘束だ。意味を成さないお遊び。そういったものが時折行われていたからこそ、今回は少しだけ本格的だ、と。それだけだと感じながら、サラトナグは大人しく縄に収まっていた。


「(アレスが帰ってきたら、怒られちゃいそうだなぁ)」


買い出しや息抜きに定期的に街へと出かけていく同居人を思う。サラトナグが誰と過ごそうが文句は言わないが、不機嫌にはなる人間の青年。じとっと睨んでくる紫色の眼を思い出し思わず頰が綻んだ。


「(アレスはアダネア君と仲が悪いからなぁ。こんな光景見たらなんて顔するか…せめて落ち着いてから帰ってきておくれ…)」


「…何を、お考えですか」


また、何か物音を立てた訳でもないのに、戻ってくる。薄暗い中。立つ金髪の持つ灯だけが、ほの光る。真っ赤な眼が、サラトナグを見つめた。


「…いや?何でもないよ」
「そうですか。…冷えてきましたね。窓を、閉めましょう」


目の前のテーブルに手灯を置き、色褪せたコートを靡かせ窓辺に寄る。サラトナグは視線だけそちらに向け、かちゃりと音を立てて閉ざされた窓から一向に離れない金髪の後ろ姿を窺っていた。


「わかってますよ。あの犬っころの事ですよね」
「また君はそんな言い方を…」
「貴方は今、自分といるのに。自分以外の事を考える」


決して長くはないその言葉が、何も強い言葉を使っていない筈であるのに、まるで粘性を持っているかの様に絡まっていく。拘束する縄よりも強く、重いような、そんな。


「でも、それもわかってます。貴方はいつだって、そこにいない誰かの事を考える。貴方と二人きりになれるのはセックスの時くらいです。昔から。いつだって。その時だけは、ただ、目の前の自分を見ていてくれた」
「…そんな事ないと、思うんだけど、」
「サラ様よりサラ様の事をわかっている自分が言うんですからそうなんですよ」
「…そうかい。君が言うなら、そうなのかもしれないね」
「ああサラ様。わかりますよ。この流れで自分がセックスしたいとでも言えばその拘束は解かれて朝までダラダラセックスして、今日は無かったことになる、だなんて考えてる。そうでしょう?」
「え"。お、思ってないよ!?そ、その流れで今回も終わるのかなとか思わなかった事もないけど…」
「今回は、ちょっと、本気です」
「三回目だね…」
「ええ。三回も言わせましたね、サラ様。三回も。三回もです。三回も…逃げようとした」


こつ、と靴底が木の床を鳴らす。踵を返してサラトナグの元に近寄ってくる姿は随分と緩やかで、その表情もいつもとなんら変わりない感情の読めない顔。しかし、嫌な予感、とでもいうのか。サラトナグの額からはつぅと冷や汗が垂れた。


「…怒って、いませんよ?」
「そ、そう?」
「貴方様は価値のあるものしか惜しまない…貴方様が自分から逃れたいと思うのなら、それは自分の努力が足りなかっただけの事です」
「そんな事ないよ!アダネア君で努力不足なら一体誰なら十分努力したって言えるんだい!」
「…。もう、貴方様に捨てられないように、色々としているつもりなんですけどね」
「捨てないよ…捨てない。大事にしてるよ、本当だよ」
「…ええ。そうですね。だから自分もそれに応えて、出来る限り寂しくさせないようにするつもりです」


サラトナグの側に座り込んで、縛り付けられている椅子の真下から何かを取り出した。見える筈のない死角から取り出されたソレは何か透明な液体と何かが入った瓶のようで、薄暗い部屋にたった一つの暖色灯では朧げだ。しかし。


「これさえあれば、寂しくないでしょう?」


机に置かれたソレは確かに、紫色の、


「あ…あ、あ、、アレス!!!アレスに!!君は彼に何を!!アダネアくっ…ん……?」
「…なんですか?」
「なに、してるのさ」
「見てわかりませんか?」
「なに、してるの」
「ああすいません、お顔に血が付いてしまいました。後で拭きますね」
「なにしてるの」
「麻酔はちょっと前に刺したので大丈夫ですよ」
「なに、し、」
「待ってください、もう少し、も、うっ…!」
「なにしてるんだよ!!やめろ!!その手をはなせ!!!」
「ハ、ハ、流石に痛いですね」
「あだねあくん、やめてよ、やめて、やめて、いますぐ、ああ、ああああ!!あああああああああああ!!!」


「…結構綺麗に取れましたよ、サラ様。代わりにこの眼を入れたら…きっと、もっと自分を愛おしく思ってくれるでしょう?」

 

 


子どものように泣きじゃくる嗚咽の音と、閉ざされた眼孔と、差し出された真っ赤に濡れた緋色の眼。
そして何事も無かったかのように、隻眼の犯人は泣きじゃくる己の主人の涙を拭った。

 

 

 

 


「てあて、させて…」
「大丈夫、自分でできますよ。気にせずどうぞ。あーん」
「いまなら、まだ、ぼくなら、くっつけられるかもしれない」
「いいえ。こっちにはその、サラ様の大好きな紫の眼を入れるんです。その眼が好きなんだと言っていたらしいじゃないですか。随分と、沢山。見つめて。」
「ああ…あ…」
「…好き、なんでしょう?ああ、じじ様の眼もお好きですよね、サラ様。もう片目は緑に…」
「だめ!!!それは!!ぜったいにだめだ…だめだよ…」
「何故?」
「…きみが、しんじゃうよ…」
「…そうですね。流石に両目見えなくなるのは自分も厳しいですから…。でも、好きなんでしょう」
「ぼくはっ…きみの…きみの、赤い綺麗な眼も、大好きだよ…」
「嬉しいです。もう一度言って欲しい」
「大好きだよ、大好きだ。大好きだから…」
「ええ。大好きだから?」
「自分から、傷つかないでくれ…」
「…優しい優しいサラトナグ様。そんなサラ様が、自分は好きですよ」


サラトナグが視線を下げれば、眼球を抉った際に垂れた血が床に付着しているのが目に入る。視線を上げれば目の前に、瓶の中に浮いた紫色の眼球が一つと、緋色の眼球が一つ。
そのどちらでもなく、差し出されるサラダを差し出されるままに食べている方が、痛々しく片目を閉じてはいるが見知った顔を見ている方が、楽、なのだ。

 


緩慢な咀嚼を急かす事なく、小さな一口一口を嚥下していくのを静かに見つめている。時折頭を撫でて。頰に口付けて。そんないつも通りの愛情表現を、いつもと変わらず行なっていた。拘束も、何もかも、何もかもおかしい事などないと言わんばかりに。消え入りそうなごちそうさまの声が明らかに普段とは逸している状況だと物語っているのにも関わらず。お粗末様でした。その声色は、何も変わらない。

 


「では、犬の世話をしてきます」
「…え?」
「当たり前じゃないですか。サラ様の大事なもの、でしょう?世話はします。数時間で戻ってこれる場所にちゃんといますよ」
「そう、か…そうだったんだ…」
「ええ。…いつでも、なんでも、できますよ」
「わかってる。わかってるよ、大丈夫。僕は君を待つ。ずっと。待つよ」
「嬉しいです。では、行ってきます」


唯一の灯りを持って、犯人は家を出ていった。ただ一人縛られたまま、家に残される。暗い部屋で、一人。その頸から髪を掻き分ける様に数本、細い蔦が顔を覗かせたが、それらはすぐに枯れ、床にぱらぱらと散った


「…だめだよ。僕は、逃げたいなんて思って、ないんだから」


それは嗜めるような声だった。ぽつんと部屋で一人、落とした声。虫の声、鳥の声、獣の声、森の声。それらに混ざって消えた声。


「(…この枯葉もきっと、あの子を不安にさせる)」 


鼻をすする音が。暗闇に響く。

 

 

 

 


「ただいま戻りました」
「…おかえり、アダネアくん」
「はい。貴方のアダネアです」
「ふふ。そうだね。僕のものだ」
「…で、また逃げようとしたんですか?」
「違うよ。逃げようとしたから、とめたんだ」
「正直ですね」
「事実がそこに残ってるのに嘘つくなんてしないよ。だって、君には全部バレてしまうんだもの」


出て行く前には巻いていなかった包帯を頭に巻き、戻ってきた。まるで口癖かのような、わかっている。それを無言で表すかのように椅子の背後に躊躇いなく回り、散らばる枯葉を掴み上げた。ような音がした。


「…まだ、さみしい、ですか?」
「…寂しくないよ」
「自分はサラ様に後悔させたくないんです。自分を選んで欲しい。でも、心から、自分を望んで欲しいんです。心残りは、作らせません」
「…君は、本当に僕が大好きだねぇ」
「勿論。自分の何が他者に劣ろうとも、この気持ちだけは何者にも劣っていると感じた事はありません」
「…痛いほど、感じるよ」
「苦しむ程感じてください。溺れてしまうほど。自分は、サラ様にはその権利があると、思っています」
「つらいなぁ…きみは、僕を苦しくさせるのが、本当に上手だ」
「言ったでしょう。自分はきっと、サラ様よりサラ様をわかっていますから」

 


椅子の背から抱き締めて、黒いつむじを鼻先で慈しむ。伝わってくる鼓動の音は穏やかだ。何の臭気もない。


「お顔を拭きましょうね。そして寝ましょう」
「うん」
「明日の朝食は何にしましょうか」
「パンが食べたいなぁ。焼きたての、ふわふわの」
「それにバター、花と卵のサラダなんてどうですか。余ったパンを甘い卵液と牛乳に浸して焼いて、シナモンアップルをかけて昼食にしましょう」
「それって本当に最高だ。毎日でもいい位」
「でもたまに雑穀粥が食べたくなる。そうでしょう?」
「そうそう。そうなんだよねぇ。美味しいんだぁ君の作るお粥」
「グラスに氷をいっぱい入れて、ベリーシロップを薄めて飲むのもお好きですね」
「よく冷やして飲む贅沢が堪らないんだよ。色も綺麗で、夏はそれがないとなぁ」
「すりおろし林檎で甘くした紅茶」
「程よく冷めて丁度いいんだよねぇ」
「乾燥ヨモギのパン」
「畑仕事の合間のおやつによく食べたね。美味しかった」
「干し根菜」
「君が好きだったね。僕も好き。冬場に暖炉の前で本を読みながら食べた」
「糖漬けの桃」
「最高の贅沢。口の中が甘いでいっぱいになるんだよ。壺いっぱいに漬けて…君も昔は食べてくれたねぇ」
「全部また、お作りします」
「…うん」
「貴方のためだけの料理を、貴方のためだけに作ります。もう貴方に寂しい思いなどさせない」


縛っていた縄を、ぶちぶちと、ナイフで裁った。手も、脚も。全て。


「…いいのかい?」
「縛られていては、自分を枕に寝れないでしょう?サラ様は、抱き着いて寝る癖がありますから」
「…ありがとう」
「どういたしまして」

 


抱きかかえられ寝かされる間、何の抵抗もなく収まっていた。身を預ける様に着替えさせられ、唯一の灯りも消え向かい合い眠る頃には、深夜。脚を絡め縋るように抱き着くのは黒髪の方からで。ただその背をぽんぽんと撫でながら、声をかけ続けていた。


「頑張りましたね。忘れてしまっていいんですよ。もう守られていいんですよ。愛されていいんですよ。毎日…こうして過ごせば、いいんですよ」

 

 

 

 


そうして迎えた朝は、明るい。焼けたバターの香り。パンの皮がぱきりと割れる軽い音。なんの違和感もなくよたよたとあるき席に着けば、散らした花弁の彩りが眩しいサラダに豆のスープが出された。


当然のように、そんな朝を享受した。出かけてきますと声をかけて家から出て行く金髪の後ろ姿をいってらっしゃいと見送り、何の拘束もない一日を、ただ過ごす。行先も目的も聞かず、ただ帰りを待つ。夕暮れの頃には帰ってきて、その腕に籠いっぱいの果実を持ってただいまと言う。ぼぅっと眺めていた窓の外の景色から視線を外して、おかえりと微笑む。一度も外界へ足を踏み出す事はなく、扉にも触れず。いつものコートにも袖を通していなかった。


「今日は、いい天気だったね」
「ええ、そうですね」
「木陰で昼寝なんて、気持ち良さそうだ」
「明日晴れたらそうしましょうか」
「…うん。そうしよう。一緒に行こう。一緒に…」
「昔のように」
「…昔、みたいに」
「そう。共に暮らした、あの日々の様に」
「…それは」
「何も、自分の為に全て捨てろなどと言っているのではありませんよ。サラ様はご自身の幸せを望めばいい。それだけです」
「うん…」


浮かぬ顔をしながら返された返事は歯切れも悪く。相変わらずたった一つの灯しの映る黒い瞳も、穴が空くほどに見つめる赤い目と向き合う事はなかった。

 


「…そうですね。ええ、わかります。心残りがある。大丈夫ですよサラ様。それも、大丈夫。さぁ夕飯を作りましょう。そして眠りましょうね。ただ自分を信じてくれればいい」

 


肩を抱き椅子に座らせて、そうしてまた大丈夫ですよと言い聞かせるように耳に囁いた。


「…君の大丈夫は、何よりも安心するから困るよ」
「サラ様の大丈夫と違って」
「はは、言ってくれるなぁ」

 

 


その夜、ベッドに共に入る事なく、ただ一つの灯りを置いてアダネアは家を出た。
夜が明けても姿を見せない。日が昇りサラトナグが茶を淹れても。もしかしたら来るのではないかと、恐れか期待かわからぬまま扉に手を触れても。その扉が外から開かれる事はなく、開けても何も変わらない庭がそこにあるだけ。誰の何の影もない。焦燥にも似た胸騒ぎを呼ぶ静寂が、満ちていた。


言うなれば、不安。数多の要素があるだろう。無い方がおかしいのだろう。そもそもの行動が、生活が、狂って三日目。むしろそれにしては落ち着きすぎている程だと、頬をささ撫でる風を感じながら自覚していた。


「(僕は、随分とあの子に安心しているらしい)」


不安を感じさせるものが己を監禁しようなどとしたその者ならば、落ち着かせ安心させるのもまた、その者故にだと。庭に出て陽光を浴び、植物達の世話をする。ただそれだけ。ただそれだけの事をして、サラトナグは家の中へ戻った。


「300年僕の元に帰り続けてきた子が今更戻らない訳がない。そうだろう」


言い聞かせるまでもなく、確信を改めただけ。そんな声色で、夕飯を作り始めた。

 

 

 

 


いつかの雨が降った朝。黒髪の待つ金色の蛇は帰らない。残されていった眼は、棚に大事にしまい込んだ。

 


雨音を聞く夜更けの頃。軋む音を立てて扉が開き、重い音が訪れた。毛布に包まっていた黒髪は飛び起き、


「ただいま戻りました」


そう掠れた声を出し崩れる影を抱きとめた。


「アダネア君…?ずぶ濡れだよ…ねぇ…大丈夫…?」
「すいません、逃げ切るのに少し手間取りました。また、行ってきます」
「何を言っているの君は…明かりつけるよ…?いいね…?」


雷鳴が響き始める。怒れる咆哮の様な轟音が、空を裂く迅光が、まるでその場を追い詰めるように嬲っていた。


燻っているような淡い光のランプを近づけて見てみれば、その金糸の髪は随分と乱れ千切れており、瞳以外の赤も見えた。頬は雨に濡れた、それだけの理由の体温の低さにも思えない。開け放たれた扉から雷光に照らされて、色濃く伸びる水溜りと、力無い脚が浮かび上がった。ああ、胸騒ぎが当たってしまったと、サラトナグの血の気が引いていく。


「あだ、ねあ、くん。君は…君は、」
「…髪が、限界でした」
「…髪、」
「サラ様は…けほっ、じじ様の髪を梳くのが…随分とお好き、でしたね」
「まさか君は、彼に…!」
「さらさまは…抱かれるとき、いつも…いつもじじ様をみてるから…それがさみしくて、じぶんは、じぶんは、あなたを抱きたくなかったんですよぉ」
「何だよぉ、どうしたのアダネアくん、らしくないよ、ねぇ」
「腕の、一本くらい、あれば、さみしくないかなって、」
「あだねあくん」
「がんばって、みたんです、けど。むりでした…ね…」


その片手に握られている茶色の髪の束に気が付いてしまった。滴る水滴以外にコートに段々と温もりが漏れ出ている事に気がついてしまった。その片脚が奇妙に曲がっている事に気が付いてしまった。咽せる中に血が混ざっている事に気が付いてしまった。

 


髪だけ。されどその髪は、指導者の首に牙を向けた事の何よりの証明だ。雨の降った今日に帰ってきたという事は、鼻の効く彼を、いかに素早く動けても今日まで撒けなかった程に追われていたという事。それだけ怒りを買ったという事。今にも死にそうな程だ。断たれた髪の主は、この男を殺そうとしている。


ようやく、完全に、理解したのだ。

 

 


「…大丈夫ですよ、サラ様。まだ、自分、動きますから。ね?」

 


選べ。さもなくば死ぬ。安心できない大丈夫が、珍しい笑顔が、サラトナグに決断を迫っているという事。焦燥、動悸、命の灯火のタイムリミットは刻々と近づいてくる。走馬灯のように巡る過去の情景を心の天秤に載せ量る。その扉から殺気湛えた声がかかるまで。忠義か、情愛かを、突きつけられるまで。

 


「その小鼠を寄越せ。不遜の面を砕いてやる。
…選べ。私への忠義か、その男の、命か」

 

 


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「っていうのを考えたんですけどどうです?」
「怖いからやめてほしいと思った」
「あってます?」
「まぁ…多分、そうなるよ。十中八九そうなるよ。だって僕君の事大事にしてるもん」
「サラ様の事は誰よりも理解しているつもりですよ…愛していますから」
「うーーーんその話を僕を実際に縛った上でやるっていう所業が可愛らしさを半減させているんだよなぁ?」
「でも実際こうなってくれるというのなら捨てた案でもないですね」
「僕に殺意丸出しのルートの前で君を庇うとかいうちびりそうな事をさせないでおくれよ…?心臓に悪すぎるんだよ…」
「出来る限りそうならないようには配慮しますよ。
…でももしそうなったら、サラ様は、どうしますか?」
「…そうだねぇ。でも、うん。そうだね。君を簡単に捨てるような事は、絶対にしないよ。きっと君を選ぶさ」
「そうですか。それはよかった、嬉しいです」
「嬉しいついでに解いてくれないかなぁ。っていうか昨日の夜はアレストがいたはずなんだけど。三人でご飯にしようよ」
「…」
「…アダネアくん?」
「大丈夫、いますよ。犬っころもちゃんと。貴方様の大事なものですからね。サラ様が寂しがってしまいますから」(ごとん
「ちょっと待ってアダネアくん。待って。今君は、僕の背後になにかを置いたね?何か…それなりに重量のありそうなガラス容器のようなものを」
「ええ。置きましたよ」
「どこにあったの」
「椅子の下に、はじめから」
「…ちょっと、解いてくれるかな?その…一応、確認したいんだけど」
「駄目ですよ」
「なんでだい」
「だって、

 


今回は、ちょっと、本気なんです」

 

 


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(ようやく完全に理解した)からのサラさんがちょっとかっこいいルートのおまけ。実際にこういう事が起きたらこうなると思うし…もしかしたら、二週目、なのかもしれない。

 

 

 

 


「…君を、手当てしたい」
「まだ、成せていないので、だいじょうぶ、です」
「いいや。君はもう十分に成し遂げた」


そう言うと、隻眼は薄らと目を細めて、身体から力を抜いた。
間違いなく、狩人はこの家にやって来る。怒りを持って。必ず殺しにくる。元々、この蛇は周りに好かれていないのだ。許される事はないだろう。

 


「…さいしょから、道は、いくつも…あった…。選ぶだけ…あなた様は…選ぶだけ…これだけは…あなたにしかできない、ことなんです」
「本当に、その通りだ。そしてその選択肢は、君が用意した。本当に…君って子は…」


どこまでが、掌の中の出来事であるのか。そんな事を考える必要はもうないのだと思った。この手負いの、あくまでも自業自得としか言えない傷を負い、タブーに触れた者を救うには、方法は一つしかない。そしてそれは簡単な事だ。ただ、サラトナグが謝ればいい。監督が行き届いていなかった、すまなかった、あるいは自分がやらせただとか。それで彼の怒りが完全に消えるわけはないだろう。何かしらの亀裂は残るだろう。しかし彼は一先ずは赦すに違いない。いや、許させるしかないのだが。


たったその亀裂を作るためだけに、生きるか死ぬかの綱を渡ったのだろう。

 


「アダネアくん。僕は一度…そう、君に確かにこう言ったんだよね。僕を愛しているなら死んで欲しかったって。そういう事を言ってしまった」
「…はい」
「そうだ。そして君を泣かせたんだよ。君は必死になって僕の所に戻ってきてくれたのに、僕は君を受け入れなかった。それでビンタされたねぇ」
「…はい」
「それでも君は、それから200年、僕を支えてきた。それ以来一度も僕に怒ることもなくだ。そして…また僕に、選ぶ機会をくれたってわけだ。随分と乱暴だけど…でも、僕はこれを、ありがとうって言うべきなのかもしれないね」


損得、恋慕、夢だの希望だの。その全てを、生かすか殺すかだけの選択肢に詰め込んだ。つまりはそういうこと。随分と穏やかな顔つきでサラトナグの決まっている返事を待つ彼は、半分眠っていただろう。


「僕は君を、もう絶対に捨てる事はないと約束をした。君とも、自分とも。それどころか…君に置いていかれたら、僕の方が苦しいくらいだよ」
「…いかなるときも、おそばに」
「病める時も健やかなる時も?」
「…はは、はい。もちろん」
「そう。僕も同じさ。寝てていいよ。君が起きる頃には、全部終わって…また始まるさ」

 


するすると、制されてから一度も外に出ていなかった蔦達が、瞼を降ろし眠ろうとするアダネを包んでいく。全てが覆われる直前、おやすみ、とかけられた声に、微笑んだ。

 

 

 


目を覚ましたのはベッドの中で、覆われていたはずの片目も、しっかりと風景を写していた。


「おはよ」


傍に座る愛しい方の片頬は残念ながら少し腫れていたが。

 


「…サラ様、ただいま、戻りました」


「…はは。おかえり。僕の、アレスト」

 


それもきっと、明日には、治っている。

 

 

 


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この後もどうせそのうち書くんだろうけどっていうか書かないと色々とアレだから書くけどとりあえずおわり。スト君?大丈夫ちゃんと生きてるよ。