ほうさんのお国柄

企画参加用創作ブログ。絵は描けない。文のみ。お腐れ。色々注意。

【閲注】譲られた物

 

 

 
僕が生まれるよりもずっと、ずっと昔。リード国とルーダ国は、一つの国だった。それが二つに別れた時、多くの精霊がルーダ国で生きる事を選んだ。鉱脈の多いリード国には人間達が集まった。
それでも、生まれ育った故郷を捨てられなかった精霊は一定数いて、そのほとんどは開発されていない森や奥地に隠れるように住んでいた。僕の両親もそんな生活を選んだ精霊たちの末。あの二人は本当に二人きりで住んでいたけど、村単位で残った精霊もいて、そうやって集団で暮らしていた精霊たちは…よく、魔力目当ての狩りに狙われた。
穢れた土地で受けられる加護は本当に僅かで、ただ生きるだけでも、精霊達は必死だった。そんな精霊達を保護していたのが、聖母・エーテランテ。一つの村を彼女の氷と冷気の白霧で覆って、寒いけれど、穢れから断絶された空間を作っていた彼女。時折外に彼女だけでては、保護できそうな者を探していたらしい。
 
その村に届く日光は薄く、気温も低い。土地も痩せ始めていた。少ない食糧をみんなで分け合い肩を寄せ合って生きていた。それをエーテランテは憂い気に見守っていた。彼女は彼らを護ることは出来ても育むことは出来ないのだと、僕に悲し気に話した。それなら僕がお手伝いができるかもしれない、と、僕は片腕で彼女の冷たい手を取った。僕にも受けられる加護は僅かな物だったけど、散々逃げ回る中で溜めこんだ植物たちは、出すことができる。植物の特性を少しずつ変えていくことも僕は得意だったから、もっと寒さに強く深く深く根を張る種を作る事も出来ると思った。
 
僕はきっと、このためにここに来たのだと思ったし、そうして民を救うことが使命だと。民の笑顔を見て僕はそれを確信したし、彼女の笑顔を見て、そうでありたいと、願ったんだ。
 
 
 
僕が来てから、氷の村の食糧事情はかなり改善された。エーテランテは僕よりも圧倒的に強大な加護を授かっている精霊だったけれど、僕も、そのほかの精霊と比べれば数倍の魔力を保持していた。食料を最も多く産みだすのも僕だったから、僕は自然と慕われて、上に立つようになっていて、彼女の傍にいる事が多くなっていた。彼女は僕に色々と話してくれた。これまでの事。外の事。彼女の事を知るたびに嬉しくなった。でも僕は、あまり僕自身の事を話せなかった。色んな家族の営みを、幸せを、傍で見るようになって。僕は【そうではなかった】のだと知ったから。それがつっかえた。そんな話になると僕はすぐに黙ってしまった。そんな僕に彼女は追及をせず、ただ、僕の頭を撫でてくれた。その彼女の手はとても冷たかったけど、僕は、すごく暖かいと感じていた。
 
 
彼女は、口数の少ない女性だった。氷の外に出かける事が減ったのは、もう外は駄目、なんだと僕らに気付かせた。彼女は室内に篭り、お祈りをする時間が次第に増えた。元々言葉少なく信心深い彼女だったから、民はそれをおかしいとは思わなかったみたいだけれど、彼女に食事を持って行ったり、民の話を彼女にする僕は、彼女がどんどんと弱っていくのを感じていた。
氷の中の民の笑顔は変わらない。僕も、この中はすごく居心地がいい。この国は、ひたすら穢れ続けているのに。それなのに僕たちが苦しまず過ごせているのは、ここが断絶された場所だから、ではなく、彼女が浄め続けていたから。いわば僕らは、彼女の魔力を喰って生きていた。それで彼女が疲弊しない訳がなかったんだ。
僕はそれを彼女に問い詰めた。貴方は命を削って僕たちを護っているの?と。彼女は平然とそれが使命だからと答えて、いつまで保つの、と聞くと口を閉ざした。そう長くはないのだろうということはわかって、それが苦しくて。それに対して力になる事が僕にはできないのだということもわかっていたから更に悔しくて。それでも少しでも彼女を楽にさせたいと思って、僕は、彼女から受けた加護や魔力を少しでも彼女に返したいと申し出た。それは、咄嗟に出た言葉だったから、僕には深い考えがあったわけじゃなかった。
 
彼女は少し驚いた様な顔をして、どうやって?と聞き返してきた。それは、と僕は口ごもる。僕は魔力の扱いが下手で、溢れる分を渡すならまだしも、自分から絞り出してまでは渡せない。彼女は静かに微笑んでいた。渡せる方法は、肉体の、物理的な接触。そのくらいしか、僕には方法がなかった。彼女もそれはわかったと思う。勿論僕は構わなかった。それで彼女の役に立てるなら。むしろ、彼女に奉仕したいと思ってもいたけれど、彼女はそういったことを望む女性じゃなかった。それに僕には片腕がない。彼女に尽くし切れるとも思えなかった。だから、僕は、何も言えなかったのだけれど。彼女は、俯く僕の頬を撫でて、貴方となら。と、言ってくれた。こんなにあたたかいキスは初めてだと思った。どうして彼女を両腕で抱きしめてあげられないのかと、そんな喪失感に胸を痛めたほど。でも、僕が足りないと片腕を伸ばせば、彼女は両の腕で確りと、応えてくれたんだ。
幸せだった。毎日、彼女と苦しみを分け合った。常に息苦しい。そんな感覚だったけれど、二人ともなのだと思えば不思議と笑顔でいられた。エーテランテも、それまでと比べると顔色もよくなっていて、随分楽観的に、早く耐える毎日が終わるといいね、なんて笑い合えた。つまり耐える日々が終わるということは人間が滅びる、自滅するということに他ならなかったのだけれど。それも深く考えずに、ただこの美しい彼女と美しい大地を歩みたいと、そんなことを考えていた。
 
 
それから、どれだけ経っただろうか。もう外の穢れを防ぐのに精一杯で、僕もエーテランテも、ろくに魔力が残っていなかった。その他の民も、魔法が使える者の方が少ない位。時折覗く外は、もう、精霊がどこかにいる、そんな気配さえしない頃。全部が全部、きっと、狩られてしまったんだろうと思える、そんな時だった。吉報が舞い込んできた。隣国、精霊の国ルーダからの使者という者が忍んでやってきて、僕らを見つけて、そして、
 
「指導者が代替わりをした。この地に残る精霊を保護すると表明し、リード国との戦争に踏み切った」
 
のだと、伝えてくれた。夢のような話だった。それは、本当に。だって今まで、亡命は絶望的だったから。向こうに渡る船に乗せてもらえなかったんだ。それどころか、見つかれば人間達に金貨と引き換えに渡されていた位。もう、僕らの愛した祖国の美しい自然はなくなっていた。ここまでなんとか居続けた僕らだったけど、それでも、この場所で死ぬと言い切れた者はいなかった。この地を愛しているのなら、無事に向こうに渡り、戦う者として力を貸してほしい、取り戻そう、と言われれば。頷く以外の選択を僕らが取れるはずがなかった。エーテランテもそれに頷き、僕らは国を渡る事にしたのだった。
 
 
期限は短かった。人間の街に囚われているであろう者もできうる限り助けたいと動いていたけれど、指導者の代替わりは人間達にも伝わっているし、苦しい事に、先代の指導者は、リード国に存在している精霊全ての処遇に対して手出しはしない、と結んでいたらしい。見捨てるどころか同族に売られていたというのは、僕らの表情を沈ませるのに十分な事実だった。人間達は僕ら精霊を、燃料、として扱っている。きっと、かくれていた僕たちを探していたはずだ。それが逃げ出すとなれば必ず邪魔をするだろうし、出来る限り多くを捕らえようとするはず。海岸に長く船をつけておくこと出来ない。見つかる前に、察されるより前に、出来る限り早く助けられるだけの仲間を見つけて、助けて、船に向かい、乗る。来れる船の回数は限られていたし、その時間も期間も限られている。乗り遅れればもう機会はないし、必ず捕まる。そんな中、最後の最後まで残り、逃げる者の手助けと救出をすると言ったのが、僕と、エーテランテ。
 
 
エーテランテの白霧は、逃げる同胞たちの大きな助けになった。僕は国中を回って眷属を増やしていた痕跡から、完全にではないけれど、ある程度の地形の把握ができた。他にも手助けをしてくれる同胞はいたけれど、出来る限り早めに逃がした。一番最後の便の、一番最後の乗船者。それが、僕と、エーテランテ。その予定だった。
 
 
その予定、だった。
 
 
 
夜闇に紛れて停泊している船は一刻も早く出港したいと言っているようで、僕ら最後の乗船集団を呼んでいた。でも、まだ距離があった。最後の便ともなれば、完全に計画はバレていて、追っ手を撒きながらの逃避だった。前方の船に向かって、懸命に走る。後方からは、追っ手の音と、火の明かりが見えていた。
 
よく覚えている。ただその時、一言。背後から恐ろしく耳に響く言葉。
 
撃て。
 
その瞬間エーテランテは隣にいた僕を抱き寄せて、きっと彼女の最後の力だったんだと思う。僕らを長く守り続けた氷の壁を出したんだ。でもそれは、そう沢山出せたわけじゃなくて、それに、彼女は、エーテランテは、自分を護らなかったんだ。周囲にいる救出した精霊の民を守る為の壁に魔力を注ぎ、そして、自らは、僕を護る盾として使った。
 
轟音が響いた。彼女の高潔な信念のような硬い氷が穿たれ削られる音。聞きたくなかった、聞いたことのない、彼女が痛みに吠える音。冷たいはずの彼女から、抱きしめられた彼女から、生温い温度が染みてくる感覚。色のない彼女が、鮮やかに、塗れる姿。それでも彼女は倒れなかった。一度は止んだ弾幕も、第二陣、装填準備、その冷淡な声でまたカチャカチャと疎ましい金属音を鳴らした。彼女は僕をはなして、僕だけをみつめて、ごめんなさいと謝った。民を護り続けた彼女が、守れたか否かを確認するよりも何よりも前に、僕に謝った。僕だけを見つめて微笑んだ。氷の壁はまた修復を始める。彼女が僕に腕を伸ばした。僕は何も言えずその腕を取った。僕の右腕は彼女の左腕が伝える冷たさに愛おしく触れた。もうすこしで、あなたの家族に、なってあげられたのに。彼女の顔が、ぱきりと音を立てて、僅かに崩れた。いやだ、うそだ、なんで、ぼくも、短い単語がなんの意味も持てずに涙と一緒に流れ零れた。彼女の伸ばした腕が、肩からまるで硝子のように、ぱき、ぱき、と。崩れて、離れて、僕の腕に握られた。冷たい、冷たい、腕だった。ああこの愛しい女性はここで死ぬつもりなんだと思って僕も死のうとしたのに彼女の凍てつく視線はそれを許さなくて僕に生きろと言ったんだ。冷たい冷たい彼女の腕は彼女が僕に渡せるすべてを込めたんだ。彼女はこの腕に愛を込めたんだ。僕と抱いた夢を込めたんだ。美しい大地を共に歩こうという夢を、語らった全てを。だって彼女の僕に向けたその目が、初めて会った時の冷たい冷たい氷の聖母、まさしくその目だったから。だから僕は、だから、僕は、その腕を抱えて、ただ、頷いた。涙は止まらなかった。止めようとは思った。でも止まらなかった。
 
彼女は、もう一度、笑って。大丈夫よ、幸せに。と、僕を突き放した。
 
構え、また忌々しいあの声がした。僕は前を向いた。
 
撃て。その声を僕は、遠い背後に聞いていた。
 
 
 
 
 
怪我人はほとんどいなかった。精々かすり傷。沈んだ顔の僕に話しかけてくる者もいなかった。
左腕に巻かれた包帯をほどいて、まるで割れた硝子の彫像のような彼女の腕を、出来るだけ痛く、傷を裂くように押し付けた。ぱきぱき、音を立てて、その腕は冷たく冷たく、僕に引っ付いた。いや、まるでその腕が僕を侵すような感覚が近い。けれどそれに不快感はなかった。この腕は間違いなく彼女の物だけど、必ず僕を護ってくれるだろうとわかったから。指先に感覚はなかった。けど、きっと馴染むと確信していた。疼き凍え灼くような痛みがずっと肩口にあったけれど、決してこの涙は腕の痛みによるものじゃないだろうと、揺れる船に身体を預けて、独り、泣き続けた。