ほうさんのお国柄

企画参加用創作ブログ。絵は描けない。文のみ。お腐れ。色々注意。

静かに終わるこの世の話【さわり】

企画関係ない一次創作?のさわりの部分を書いていたので、折角なのでここにも。のんびり続きを書くつもり。いつか全部かけたらまとめたいと思っているのが今年の目標なので、ほどほどにやります。

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秋茜。少女の視界に広がる紅葉は、随分と雑然としたものだった。全くの人の手の関わり入っていない、在るがままの眩い光景。少女は、さく、さく、と。落葉を踏み鳴らし、一歩一歩を焦る様子も何もなく、道のない木々の間をふらりふらりと歩いて行くのだ。何か確信めいた諦めを感じさせる足取りで。帰り道など覚える必要はないと。思うままに、迷いもせず、ただただ歩く。緋色の美しい森を。

街を歩くだけで足を痛めるような靴。うら若き乙女たちの購買意欲を煽る雑誌の表紙を飾るような服。やりきれない明るさに染められた髪。庇うために覆った化粧。少女はどこにでもいそうな、少女だ。だからこそ、人知れぬ外れにある森の、それはそれは小さな社の、そのまた奥へ進んでいくことが、随分と異常であったのだ。

けれど少女を止める者はいない。少女に問う者などいない。少女に気が付く者さえいない。少女は独り。「はいってはいけないよ」と昔祖母が言い残した寂れた社の奥へと。


さくさく、さく、さく。さら、から。吹く風が木の葉を揺らし、少女の道に交わっていく。さく、さく、さら、から、さく、さく。煩わしい喧騒など、遠く遠くに消え去るのだ。ざぁざぁ、応えるように風が木々を揺らす。少女の傷んだ髪を揺らす。変わらない森の景色が、少女を囲んだ。どこを見ても何も変わらない森。来た道も行く道も。何もわからない。少女はようやく立ち止まり、高価なだけで何も容れられない鞄を抱えて、光の射す木々の切れ間に座り込んだ。


少女の歩みは終わったのだ。吹く風が音を連れてくる。ざぁざぁ、からから。さく、さく。…さく、さく?少女は音の聞こえる方向へ視線を向けた。さく、さく。足音はやってくる。さくさく。がさ、がさ。道なき道からやってくる、風の連れてきた足音。どこかの茂みをがさりと揺らして立ち止まる。きっとそこに何かがいるのだ。けれど少女にはわからない。街と人の群れの中で生きてきた少女には何もわからない。

「…誰か、いるの?」

姿など見えない何かに問いかける。いるのは、そこか、それともあそこか、どこか。わからない故のまとまりのない声で。


「珍しいな、迷子かい」

茂みが、そう問いかけた。男の声だろうと、少女は思う。しかしながら、実に不思議な声だと。声を聞いて尚、どこにいるかが分からないのだ。男の声は確りと耳に、頭に、届いているはずなのに。そうしわがれた声でもない。若い男の声、ざらつきのない、綺麗な澄んだ声だ。

「迷子なら、今すぐに立ち上がりたまえ。君の右手の方へ進むといい。まだ、日が落ち切る前に帰れるさ」

不思議な声は、少女に帰路を示す。少女が今までに過ごしてきた街への道を。しかし、少女は動かない。その声に何か思う事もなかった。不思議だなと思う。しかし、何も。応じようなどとも、従おうなどとも。ただ鞄を抱えて座り込んでいる少女に、男の声は不審げに尋ねる。


「…怪我でも、した?それとも、帰る気もないのかい」

少女にとって、何一つとして否定する事などない。痛んだ足を抱えて座る事で、その問いに答えて見せた。


「そんな薄っぺらな格好でこんな森に遅くまでいたら、どうなるかわからないよ。この時期は、よく冷える」

男の声はそこから立ち去る気は無いようで、少女に促し続ける。


立ち去る気が起きないのは、少女もまた同じだった。この声の男が、善人であるのか、悪人であるのか。何故姿を見せず、何故ここにいるのか。そんな事も、もう、自分には関係がないのだろうと。少女はぴゅうと吹く冷や風にぶるりと身を震わせた。


暫し、黙った。少女も。声も。風も。森も。ただ陽は斜めに陰り、空気は冷える。さく、さく。沈黙を破ったのは、枯葉を鳴らす足音。小さな足音。さくさくさく。声の辺り、だったはずの場所から、その足音は少女の近くへ。暗がりを動いているのだろうその姿は、少女には確認できなかったが。少女には見えない、少女の近くで。背後で。声は語りかけるのだ。


「そういうの。困るんだよなぁ」
呆れたと言うには感傷的な声色。憐れむというには面倒臭そうな声色。その近い声に少女は一度、びくりと身体を震わせた。近くに居る、という感覚が、少女を随分と臆病にさせる。


「ここなら、誰にも迷惑を掛けないとでも思ったかい?十分迷惑だよ。君の世で起きた事だろう。君の世で処理をしたまえ」
男の声は、少女を促すのではなく、追い返す意図をはっきりと持った言葉を投げる。少女はぎゅっと、自分の身体ごと抱えるように、鞄を潰して、拳も強く握り込んだ。耐えるように、堪えるように、絶える、ように、


「貴方、なんなの」
喉が拒否しているような息苦しい絞りだした声が、少女の心からどろりと零れる。


「あなたに、何がわかるの」
いままでに一度もいう事のなかった言葉が、少女の口から流れ出す。不満のような、文句のような、叫びのような、嘆きのような。投げかけられる姿のない男の声に返すには、不適切な言葉だったかもしれない。それでも少女が吐き出せた言葉はそれだけだった。たったそれだけで、少女の心臓はばくばくと苦しい程に脈打ち、視界は歪み、息はきゅうと苦しくなるのだ。体中の筋肉が強張って、ちぢこまって、視線は落ちる。乾いた風に攫われる木の葉が数枚見えた。


「…、…そうか」
声は、答えた。ほんのすこし、明るい声で。
「その言葉を言えるのならば、まだ君はここに来るべきじゃない」
その声は、少女には随分と優しい声に聞こえた。安らぎさえ感じる言葉だった。込め過ぎた力が抜けていく。
「今日はもう、お帰りよ。来たいならまたこればいいさ。…話し相手に位になら、なるよ。時間は、いくらでもあるしね」
声はまた、がさりと茂みを揺らして居場所を変える。少女の右手の方から、こっち、と呼ぶ声がした。少女は一度、瞼をこすって立ち上がる。土を払い落として、陽の沈みだした空を見上げて、冷たい空気を吸って。そして声の方へ追いかける。家に、帰ろうと。


「ねぇ。貴方は一体、なんなの?」
「さぁてねぇ。なんだろうねぇ」
さくさくさく、と、同じような速度で歩くにしては足音の多い歩みが、少女を先導する。


「貴方は、明日もここにいるの?」
「何もなければ、ずっといるさ。」
先を歩いている事は確かなのだ。しかし、精々少女の腰程度までの高さしかない茂みを渡り歩いている声の姿は、見えない。


「貴方の、名前は?なんて呼べばいい?」
「…無いよ。呼称なら、そうだな。…浮世、とでも呼べばいいんじゃないかな」
そうして歩みは止まった。暗む空の仄かな光ながら少女の目にちらりと見えたのは、足下近くの白い一房。そして、空の色だけが違う、少女が【迷い込んだ】小さな社。少女は何事もなく森から還った。脚に確かな疲労感はあれど、服が土や草に汚れていても、それでも少女は、また、少女の過ごしてきた世に戻ってきた。空にはない暗雲が少女の心にまた掛かろうとする。振り払うように少女は首を振り、姿のない声を呼んだ。


「浮世、さん?」
「…何かな」
浮世と名乗った声は、すぐ近くの低木の茂みの中にいるらしい。少女は笑みを溢す。
「なんで、浮世さんなの?」
「なんとなくかな」
声は立ち去ろうとはせず、少女の背中を見送るつもりなようで、少女をきっと見上げている。それは感じられた。


「浮世さん。私、もう少し考えてみる」
「ああ、そうしたまえ。人間には知性も言葉もあるんだからね」
「浮世さんにもあるもんね」
「さて。どうだか」
こんなに浮世離れした、まるで夢の中のような体験をしたというのに、当の存在は自らを浮世などという。わくわく、どきどき。そんな音で表せる気持ちを抱いたのなんて、いつ振りだろうかと。奇異奇怪を目前にして尚、少女の心は久方振りに踊り出す。漸く、鼓動を始めたのだと言えるほどに。


「明日も、来てもいい?」
「好きにすればいいさ。…でも、来るのならもう少し歩きやすい靴で来るんだね」
「…うん!そうする!またね、浮世さん」


少女は森を背にし、ゆっくりと遠ざかっていく。背伸びをさせる痛む靴を、明日は脱いでしまおうと考えながら。ひゅうと吹く冷たい風に、もっと暖かい服を着ようと思いながら。整備されていない土の道を歩き、そして、背後に微かに聞こえた音に振り返る。
茂みから小さく、黒い何かが顔を出している。黒い目と、ぴんと立った二つの耳。 けむくじゃらの顔。目が合うと、すぐに【彼】は踵を返し、森の暗闇に溶けていく。


「…狐さんだったんだね、浮世さん」
尾先の白い毛が点のように浮かび上がって、闇に消えて、化かされていたかのような時間は終わる。空の星を数えながら、少女もまた、去っていった。