その花は白いけれど、思い出すのは黒色ばかり。
「この国は精霊様が守っとる。精霊様方が国中におらっせる。
人間は街で精霊様の奴隷じゃ。あんなもんはご機嫌取りの奴隷として生活しとる。
妖怪は遊び道具じゃ。物言わんでおるのがええ。一等それがええ」
「じゃあ、私たちは?」
「…鬼はなぁ。ただ、気高くおればええんじゃ。誇りを持って、な」
幼い日、そう言った頭領の父は、どこか悔しそうでした。潮風を毎日浴びる父の肌はがさがさと荒れていて、毎日重い積荷を運ぶ際にぶつけるせいで、身体には治っても治っても痣があり続けていました。 荷の積み降ろしを監督している精霊様は確かにお優しい方が多いと思いますが、港に来る人間達は…どうでしょうか。
「今は人間の時代じゃ。もう直ぐ、そう、直ぐ、鬼の時代が来るけぇ。もうしばしのしんぼうじゃ」
「それはいつなの?」
「…お前が嫁に行く頃には、なぁ」
私が働き始めた10の頃。父はすこし寂しそうにそう語りました。頭領の娘でも、そう裕福ではないこの村では仕事はたくさんあります。男衆の服を繕って、明日からも怪我なく帰ってきますようにとお祈りしながら。いくら鬼でも、縄が足に絡まって海に落ちたり、そのまま巨大な貨物船に潰されたらひとたまりもありません。
決して裕福ではない暮らしだけれど、貧しい暮らしでもない。毎日食べるものがあって、着る物があって住む場所があって仕事があって恋をして生きる。そんな平和な暮らし。短いけど、それは辛い生活ではありませんでした。
ただ、街の話を聞くと少しだけ憧れを抱きました。眠らない花の街。商人の街。世界中のいろんなものが集まって、何一つとして苦しみのない時間を過ごす、そんな街。時折商人の護衛としてついて行った若衆や城仕えを狙う者が出かけていくことがあるくらいの、縁のない場所。行った者の殆どが帰ってこなくなる、夢のような場所。
「人間、妖怪、鬼と。順繰りでな、長の若者が、精霊様のことに嫁ぐんじゃ。子を拵えて、そのお子が王様になってな、城で一緒に暮らす。…そうやって、戦争が終わった時からな、精霊様と仲良くなぁ、しとったんだ」
「次が、鬼、なのね」
「…おう」
そして、そのしきたりを父が教えてくれたのは、精霊様がいらっしゃった日。凄く申し訳なさそうな顔をした父が、私を呼んだ。
「ねぇお父さん。別に私、嫌だなんて言ってないわ。それって、村から出て街のお城で暮らすってことでしょ?女の子にとって夢のような話じゃない。村の男なんてみんなガサツで、私、好みじゃなかったわ」
「でも、もう戻ってこれないんだ」
「戻って来たって、何もないでしょ?」
「…」
「お父さんはもう10年もしたら死んでしまう。お母さんはもういない。だったら、もう私の心配はしないで、お父さんの好きなように過ごせばいい」
お父さんは何を言ってもぼろぼろ泣いていたけど、私はそうでもなかった。お父さんは私のことをすごく大切にしていたし、もしかしたら責任を負わせてしまったとか、考えたのかもしれない。でも本当に、
「(こんなところで燻ってるより、精霊様と結婚できる方が100倍良くない?)」
「ねぇお父さん。私が精霊様のお嫁さんにならないといけないってこと、いつから決まってたの?」
「…おまえがな、産まれたときから…」
「それならこんな急じゃなくてもっと早く言ってほしかったな。まだ時間はある?隣の家のテユとクウマに告白されてたの。断ってこなきゃ」
「そんなこと聞いてないぞ!?」
「言ってないもん!あの二人ったら10年も私に告白し続けてるの!きっとお父さん恨まれるわよ!」
そういうとようやく父は笑ってくれた。大丈夫。これなら、この村を去っても。私が産まれた時には高齢で、母はいない。私しかいなかった父だけど、きっと。楽しく、これからも生きてくれると思う。
「…っていうことがあって…まさかそのまま街に行くことになるとは思っていなくて、準備に手間取ってしまったの。ごめんなさいお待たせして」
「いやいや。それは大変だったね。大丈夫だよ」
お客様は私を迎えに来た方だったようで、私は荷物をさっさとまとめて馬車に乗った。急な話だったけれど、変に何も考えずに済んだのは、それはそれで良かったのかもしれない。お迎えの精霊様もとても親切に急かすことなく待っていてくれて、これから生きる世界がガラリと変わるとは思えないくらい、穏やかな出立だった。
「どんなお方なの?」
「誰が?」
「私の旦那様になるお方は」
「僕だよ?」
「え?」
「あははっ!気づいてなかったのか!ごめんごめん!もう知ってるものかと思ったよ!」
「だ、だって、こんなにお若いなんて…」
「レディ、貴女は今いくつ?」
「14、です」
「はは、今更畏まらなくてもいいよ。14かぁ。若いなぁ。こんな若くて美しいお嫁さんを貰えるなんて嬉しいな。僕これでも、ええと、60…」
「60歳!?」
「ふふ、違う違う。60倍くらい、生きてるよ。多分」
「…精霊様って、すごい」
「はは。僕は大分極端だけど、こんなのがいっぱいいるよ。街には」
精霊様が、沢山いる。それは、あまり実感のなかったものだけど、すごい事なのではないのかと、ようやく感じることができた瞬間だった。
鬼は大体40数年でその命を終える。私もそう。それに対して彼らはその何倍もの長さを生きる。精霊様達にとって一瞬の出来事のように、私たちの命は終わる。華やかな街は、精霊様の街。ゆっくりと流れる時間故の優美さなのかもしれない。その中で、その中で私の短い命は、一体、価値のあるモノ、に、なれるの、か
「…怖い?」
「っ、」
「暗い顔をしてた。…美しい女性には、僕は笑顔でいてほしい」
握りこんでしまっていた手を、優しく包まれる。ひんやりとした手。わざわざ、私なんかに跪いて。
「…君と一緒。僕にも心臓があって、生きていて、両親から産まれた」
「でも、精霊様、貴方は比べ物にならないくらい長く生きるから、」
「君達は実に気高い種族だ。よく知ってるよ。強きは喰らい弱きは淘汰される。弱肉強食が、君たちの理。」
「…はい」
「僕ら精霊の理は、流るもの。全ての命は等しく生まれ、等しく死ぬ。それぞれがそれぞれの役割を持ち、それを全うして、次に託して死ぬ。そうして流れ巡っていく営みこそが、最も尊い理」
「君の命もいっしょ。君がその命を、満足に使ってくれること。その一生が喜びに満ちてくれること。そして、その生きる歓びを、次へ伝えてくれること。それが、僕ら…いや、僕にとって、一番うれしい事だよ」
優しい、瞳。
「君の命の、ほんの少しの間しか。君と夫婦であることは出来ないけれど。僕に君の生を彩らせてほしい」
どうせ、戻ることは出来ない。産まれた時から決まっていた運命。一つしかない選択肢。
それなら、この、優しくて美しい彼を。心から愛した方が、私は幸せなんじゃないかしら。
それがどれだけ短い間でも。
「…不束者ですが、どうか、よろしくお願いいたします」
「もちろん。君を守るよ。君の、すべてを」
たった一輪の花で交わされた約束は、私をお姫様にするに十分だった。
「嫁入りの為にって、お裁縫をたくさん練習したんです。お役に立てるとうれしいわ」
「じゃあ、君の名前の刺繍の入った何か、をくれたら嬉しいな。仕事の間も君を傍に感じられる」
「ええ。何にしましょう。きっと街には素敵な布も糸も沢山あるのね」
「一緒に見に行こうか。街には色んな物があるから、きっと君のお眼鏡にかなう物が見つかるさ」
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「母君様、お届け物が届いております」
「ありがとう。どなたから?」
「さぁ。いつも通り、花だけが」
「あらそう。いつもいつもマメなこと。活けておいてくれるかしら」
「かしこまりました。体調はいかがですか?」
「もう歳ね。良いとは言えないし、よくたって…ゴホッ、ゴホッ!!」
「ああっ、無理なさらずに…。…王女様がお会いになりたがっていました。本日は、難しそうですね」
「…そうね。もう、長くないから。できる限り会いたいのだけれど」
「…もう、会えないかも、しれないわ。数年、なんて。一瞬だもの」
終
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本編の世界線と同じ時間軸で、まだ生きてる王女の母親の話。娘を産んで一気に体力を失ってしまった母親は、召使に支えられながらずっとベッドの上。娘に会えるのも少ない。旦那様、は…あまり、来ない。それどころか、逃げているかのように会いに来ない。けれど彼女の元には頻繁に花が届く。送り主もわからない綺麗な花が。ずっと。娘が産まれてから、ずっと。